三つ子の魂ほんのりと。
私は歩き出すのが遅く、3歳まで歩けませんでした。
こりゃもう無理だな歩けないぞこの子、とかなんとか思った両親は専用のチェアを購入(結構お高かった模様)。
ところがある日、突然立ち上がりました。
その時のことはぼんやりながら記憶に残っています。
ソファに手をついてよいしょとやってみたら立てちゃった、みたいな感じ。立つ瞬間なんて覚えてる人もそうそういないでしょうから、レアですね。
その後どのように歩くようになったのかは覚えてませんが、順調に歩き出したようです。
歩きはじめたのが3歳。
そして私は幼稚園へ通うようになりました。
本当は4歳から通う予定だったですが、幼稚園側から「途中から来られるならいらっしゃい」と言われたので3歳半ごろ(季節は秋)から、最初は30分から練習して通ったそうです。
両親が選んだのは、私立のキリスト教系幼稚園でした。
特にキリスト教を信仰しているわけでもなかったのですが、
「子どもたちは神さまの子で、神さまからの預かりもの。おいでなさい」という感じですんなり受け入れてくれたので決めたそうです。
「神さまの子じゃなくて自分たちの子なんだけどね、てへ」みたいな気持ちはあったそうですが、もちろん口には出さず。
送り迎えは必須だけれど(この為に母は運転免許を取りました)、あとは幼稚園内で様子を見ながらやって行きましょうと大らかな対応でした。
私にとっては家族以外の初めての外の世界(病院除く)。
母は初登園の日に私が泣くと思っていたそうですが
「一度も振り返らずサッサと園内に消えていった」とか。←この時は園内くらいならゆっくり歩けてました。
…好奇心の方がね、勝ってたんですよたぶん。
幼稚園のことは比較的楽しかったこととして記憶しています。
週に一度、英語の勉強(遊び)を教えるアメリカ人(イギリスの人ではなかったはず)の先生が来ていたこと。
その月にお誕生日を迎える子たちをお祝いする会があったこと。その時だけ出されるちょっと濃い目のカルピスが美味しかったこと。
お弁当の日もあったけど基本的には給食で、食べ始める前に「いろんな命をいただいてることに感謝しましょう」と教えられ「いただきます」を言うよう教えられたのは良かったと思っています(おかげで今もいただきますが言えない人がちょっと苦手)。
クリスマス会が盛大だったこと。賛美歌はすっかり忘れました!笑
遊具や砂場で遊ぶことはできなくて寂しい時もあったけれど、毎日楽しかった。
唯一苦手だったのはみんなで順番にスキップすることでした。リズムに乗れない。足の運び方がよくわからない。つまりスキップが下手だったのです。
ですから、スキップできないアナウンサー川田祐美さんがスキップできずに笑われてるのを見ると若干もやります😅
おそらく、月謝はかなりのものだったと思います。大人になってから聞くと「正直厳しい財政だった」とのことでした。
それでもあの幼稚園に入れてくれて良かった。
社会に放り込んでくれてありがとう。
また、あの数時間が母にとっても私から離れることができ安らいだものであったなら、なお嬉しいです。
そしてやって来る、戦う小学校時代へ。