あの頃の話〜小学校①
前回のブログで、戦う小学校!とか思わせぶりな終わり方をしましたが、実は私には小学生時代、5年生途中くらいまでの記憶がほぼありません。
みんなそんなものかしら?
幼稚園の記憶がある割に、小学生の頃の記憶がとてもあやふやです。
とにかく学校と家の往復だけで必死でした。
そしてそれはおそらく、母もだったと思います。
学校とのあれやこれやは山盛りありますが…書き始めると終わらないかつ身バレするかも?と思いましたので、書けそうな内容を少しだけ。
よろしければお付き合いください。
私は公立の地元小学校に入学しました。
学校側は受け入れを決めたものの、私のような病児は「前例がない」ので、入学前も入学してからも事あるごとに揉めました(揉めたという嫌な感覚は覚えてます)。
娘がいうのもなんですが、母は綺麗な人でした。その母の眉間には常にシワが刻まれるようになっていました。
ちなみに、この頃の私は小学校への送迎必須(厳密には教室前までの送迎)、小学校の中での教室移動等は車いす利用、階段は先生におんぶしてもらうという状態です。
教室の近くのトイレにはゆるゆる自分で歩いて行ってました。
体育は禁止。
入学当初はラジオ体操くらいは参加してたものの、しんどくてあっという間にできなくなりました。ラジオ体操って実はめっちゃ動きますよね。
私が何年生だったのかは忘れましたが、母はポケベルを持つようになりました。
きっかけは先生から「持たないんですか?」と言われたことだそう。
当時は携帯電話なんて便利なものはなく、呼び出しといえば家の固定電話だけ。
だからと言って家にずっといるわけにもいかないし、先生に言われちゃったら持たないわけにもいかないよね…という感じだったようです。
その頃母が持っていたポケベルは文字は出なくて
「8451(はよ来い)」等、語呂合わせでお互いわかるようにする、というようなものでした。
母が一番ドキドキしたのは、自分の歯医者の時間だったようです。
歯医者は平日でないと行けないし、父が休むこともできない。
早く終わることを願いつつ行っていたようです。
そして、歯の治療中に呼び出されるのだけは勘弁して…と思ったそう。
ずいぶんと苦労かけました。
私もしんどくなりたくてしんどくなってる訳じゃないので、学校から呼び出されるたびすっ飛んでくる母に申し訳ない気持ちがありました。
「あの頃携帯電話があればまだ気持ち的に余裕があったかも」と言ってました。
また、私には兄がいて、私が入学時兄は5年生でした。
私の旧姓は少し珍しい苗字でしたから、すぐにきょうだいと周りにわかったことでしょう。
車いすに乗り、おんぶしてもらい、その他もろもろ配慮が必要な子ときょうだい。
兄は兄で、からかわれたり嫌な思いをしたようです(本人絶対私には言わないけど)。
大人になったからこそそう思うのかもしれませんが、私にとって小学校生活は何か申し訳ない気持ちでいっぱいな時期だった気がします。
つづく