薬の管理はあのねのね
いやぁ、毎日楽しいことを探すのが難しいです。
皆さん、ちゃんと笑えてますか?
私は割と家でじっとしていることに慣れていますが、とはいえこの状況。
いつまでこの張りつめた感じが続くのやら…と思うと辟易しています。
で。
こんなときにブログを書こうとしても、何も浮かばない。
まあ、書かなくてもなんの問題もないのですが、せっかくなので続けたい。
困ったなぁ、ひとまず薬のセットでもするかと薬を納めている缶を取り出してふと思い立ちました。
いつでもどこでも手放すことのできない薬について書いてみようかな、と。
きっと、このブログを読んでくださる方の多くは薬を服用している、またはお子さんに薬を飲ませている方だと思うのです。
では皆さんは、薬をどのように扱っておらえるだろうか。
そんな疑問がむくむくと湧き出しました。
ということで、今回は薬の効能等ではなく、私の薬の管理方法を書いていこうと思います。
あなたの管理の仕方とどう違うでしょう。
缶の中身はなんだろな
私と薬の出会い…もはや覚えていません。
気がつけば薬を飲んでいました。
薬の自己管理は中学生くらいから行っていたと思います(正直覚えていない)。
基本的に月に一度薬を処方され持ち帰る…の繰り返し。
気がついたときにはそこそこの量を飲むようになり、持ち帰る薬の量もそれなりになっていました。
そして、薬の保管場所はいつからか母が使い始めた缶に固定されました(現在の缶はたぶん二代目)。
確か、京都のお土産が入っていたという缶。
かわいらしくて使い始めたよう。
何よりも、この適度な大きさ。
(横に薬を置いてみました。大きい感じが伝わりますか?)
ガバガバ薬が入れられます(粉薬を飲むようになってからは入りきらないけれど)。
嫁入り道具として真っ先に選ばれた物です笑
お菓子の袋に入っているシリカゲルを見つけては缶の中にポイっ。
適度に入れ替えてます。
☆
↓ こちらは一日分の管理に使っている、100均で買ってきてもらったなんか透明なやつ。
ざっくりと頭の中で区切りをつけておいて、前日の夜に缶から明日の分の薬を取り出し、ここに置いておきます。
私は袋からいちいち薬を出すのが嫌で、毎日この作業をしています。
昼の薬がなくなったので、ここには適宜利用のものを適当に入れています。
私は一日10種類ほどの薬を飲んでいます。
そんなに多くないほうですが、こうすることで飲み忘れもないし、数が合わないで残っていたなんてこともありません。
入れ物はそのときどきで変化するものの、こうした作業は30年以上続けていると思います。
↓ おでかけの際の薬を入れるケース。
こちらも二代目です。
初代はお友だちにいただいた京都土産(なんだか京都に縁がある)。
「小さいピルケースだとどうせ入りきらないだろうから」
と、よくご存じですねありがとうとむせび泣…きはしないけれど、感激した一品でした。
初代がくたびれて来たなと思っていたら、それとよく似たものを母がこれまた京都で発見、買ってきてくれたのがこれです。
ざっくり朝・昼・夜 で分けて入れておけばOK。
ただ、かなりパンパンになるのでこれ以上薬が増えないことを願いつつ使っています笑
写真がどれもこれも粉っぽいのは、まさに粉薬の粉が混じっているからです。
お見苦しいでしょうが、お許しください。
とても便利なおくすり手帳アプリ
「おくすり手帳」が一般的になったのはいつからでしょう。
これも記憶にありません。
紙のおくすり手帳も併用していますが、ここ数年は「おくすり手帳アプリ」を利用しています。
薬の登録もQRコードで簡単にできますし、登録した薬の名前をタップすればすぐに薬に関する情報を(副作用も)見られるのも便利。
一錠あたりの薬価もわかるので、それを見ては医療保険のありがたみを感じています。
これ、全額自己負担だと飲み続けるのが難しいだろうな…。
機種変更をしても設定しておけばきちんとデータを引き継げるので、過去に使った薬が簡単に見ることができて助かります。
☆
私は現在の病院とは別に、実家の方の病院(結婚まで通っていた病院)にも年に一回ペースで受診しています。
たまに実家の方の病院で薬を処方されるのですが、これがややこしい。
例えば、私は現在の病院でBという薬を処方されています。
BはAという先発薬のジェネリック薬品です。
通常飲んでいるのが
ジェネリック薬 B
1錠2.5㎎を1日量0.5錠なので、朝夕2回、一回当たり0.25錠分の粉薬
ところが実家の方の病院だと
先発薬 A
1錠1.25㎎を1日量1錠なので、朝夕2回、一回当たり0.5錠(つまり半錠)
薬の形状が粉薬から錠剤へと変化します。
一瞬、「は?」ってなりませんか。
これをおくすり手帳アプリでしっかり確認すると、ああ、そもそもの1錠当たりの㎎が違うんだなとわかります。
もちろん紙媒体のおくすり手帳でも比較はできますが、この病院でもらった薬は…と遡るのはアプリの方が簡単だと感じています。
ちょい多めで持っておく
おくすり手帳アプリを使っている強みとしては、災害のときでもスマホさえあれば処方されている薬が何であるかをすぐに見られることだと思っています。
それと、私は少し多めに薬を保管しています。
阪神淡路大震災以降そのようにしています。
もしも何か災害にあって薬が手に入らなかったら。
一日分飲まなくても死なないでしょう。
でも、それが数日続けば確実に心不全は悪化すると思っています。
ひとまず、5日分。
現在私は5日分多めに薬を保管しています。
メモしてね、保管もよろしく!
数年前、私が心房細動を起こして病院に行ったときのこと。
小児科から循環器内科に転科して間がない*1、ハンサム主治医に代わってさほど経たないとき。
ハンサム主治医はそれでも、私が薬に対して敏感だということを把握していました。
そして私に聞きます。
「どんな抗不整脈剤がどうあかんかった?」
わあ、突然聞かれても困る~。
でもそうか、こちらの病院に私の子ども時代のデータがあるわけないもんね。
私はベッドに寝たまま必死に頭の中で記憶を手繰ります。
11歳の頃の私が何を飲んでいたのか…一応母から教えてもらっているぞ頑張れ私。
とはいえこちとら胸がバクバク、きちんと記憶を遡ることができない。
「〇〇と△△と…う~、なんでダメだったかはすみません、記憶にないです」
「じゃあ、⬜︎⬜︎は飲んだことある?」
「たぶん飲んだけど中止になりました。でもはっきりしません」
するとハンサム主治医は言いました。
「じゃ、お母さんに聞こう」
「へ?」
ということで、病院の電話を渡された夫(なんとか駆けつけた)が、私の実家に電話することに。
後で聞いたところによれば、知らない番号からの電話で母は警戒したそうな。
私も母と話をした気がしますが、しんどさが先行していてあまり覚えていません。
ただ、ハンサム主治医が母と話していたのはぼんやり見ていました。
「あ、はじめまして、僕主治医の〇〇です。ぱきらさんが子どもの頃飲んでいた薬についてお伺いしたいのですが…」
ああ、かわいそうな母。
なぜ40(当時)にもなる娘の心配をしつつ、過去の記憶を総動員して薬の名前を思い出さねばならないのか。
そしてハンサム主治医と初顔合わせ?がまさかの電話。
しかし母はすごかった。
ざっとではあるものの、当時飲み続けるのが難しかった抗不整脈剤をハンサム主治医に伝えました。
結局、その場で安心して使える抗不整脈剤はなかったのだけれど、母の情報は「薬が使えないことが明確にわかった」ので役に立ったようでした。
☆
後日、母に当時の入院記録を書き留めていたノートを送ってもらいました。
ノートにはいろんな薬について、開始した時期や飲み始めて何分後にどのようにしんどくなり始めるかなどが、メモ程度ですが書かれていました。
当時の記憶と共に振り返りながら、私は大事な部分と思われる個所を書き写しました。
私も、ある程度の年齢になってからは自分自身で、今一つしっくり来なかった薬についてメモするようにしています。
だけどやっぱり子ども時代のことは不鮮明で。
母から聞いているつもりでも、想像以上に抜け落ちていたなと感じています。
だからこのノートがあって良かったと思っています。
本当に、お母さんありがとう。
今、お子さんに薬を飲ませている親御さんがいらしたら、同じようにしろとは言いません。もちろんお子さんの現状をすべてを書き留める必要はありません。
ただ、あまり効果がなかったり、副反応が出た薬についてはメモしておいて欲しいです。
大人になったとき、そのメモは必ず役に立ちます。
☆
この年齢になるまでどんだけ薬飲んでるねんという感じですが…死ぬまでこれは続くでしょう。
なのに、あいにくと私は薬との相性が悪くなりがち。
記録することは大切だと感じています。
薬は体を楽にしてくれるけれど、毒にもなりうる。
気を引き締めつつ、これからも(面倒だけれど)忘れることなく飲み続けたいです。
これから先も、新薬はたくさん出てくるでしょう。
不整脈に効果的な薬も、いろんなものが誕生すれば良いと思っています。
でもひとまず、新型肺炎にバシッと効く特効薬ができますように。
そして、願わくば副作用なく私にも使用できますように。
*1:先天性心疾患の子どもたちは、大人になって以降も小児科を受診することが多い(私もその一人で、転科できたのは40歳前くらい)。なぜなら循環器内科に転科しても、「先天性心疾患患者を診ることができる」循環器内科医師がほとんどいないから。
循環器内科の医師の多くは、「正しい心臓の形」をもって生まれた人たちが大人になってから生じる循環器系の疾患に対する医療知識しかなく、「心臓そのものが通常とは違う形」をもつ人たちの循環器系の疾患に関して対応することができない。現在は少しずつではあるものの、先天性心疾患についても学び、診ようという医師が増えてきている。ハンサム主治医もその一人。この話はまたいつか。