世界は広がり…時々、飲み込まれる。前編
インターネットの普及は、家から出ることが難しい病児者や障害児者にとって社会参加の可能性を広げる、大きな転換期だったのではないかと思っています。
私たちの周りにある通信機器は、固定電話の時代から、FAX(ファックス)、ポケットベル、パソコンを使ったインターネット通信、PHS、携帯電話、スマートフォンまで。
驚くべき速さで進化してきました。
と同時に、膨大な情報が目の前に提供されるようになりました。
今回は、私の昔話と最近感じていることにお付き合いいただければと思います。
なお、この記事ではインターネットを使っていかに病・障害者が働いているか、といったことには触れていません。
私自身が働いたことがなく「見聞きしているレベル」であり、率直にわからない・知らないからです。もしそういう話を期待してくださっているならば、全くの期待外れに終わりますので、あしからず…。
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コミュニケーションツールとしての通信機器
今は昔…のような、通信機器
私は今40代前半。
子どもの頃は固定電話が間接的に人と関わるコミュニケーションツールの主流であった(手紙もあるが通信機器を介さないので今回は除外する)。
友人知人と電話して楽しくおしゃべり…は可能だけれど、(リアルタイムでの交流なのだから)同じタイミングで電話に向かう必要があり、また通話料も安くはないのでおいそれと利用できるものではなかった。
小学生の途中から、ポケットベルが登場する。
初期は音が鳴り、何らかの数字が表示されるだけ。「8451」は「早よ来い」というように、暴走族の「夜露四苦(よろしく)」並みの語呂合わせだった。
月々のレンタル(使用)料が安価になったことと、数字の並びで文字(カタカナやアルファベット)に変換できるようになると、このポケベルは学生や若い人の間で爆発的な人気が出る。
学校で直接会わずとも、相手の自宅に電話しなくとも、連絡が取れる。ちょっとした文字を送ることができる。これは画期的だったと思う。
と言ってもポケベル最盛期には私は高校を辞めていたし、家にいることが多かったため個人的にポケベルを持っておらず、利用した記憶がない。
それよりもむしろ、私にとって大きなコミュニケーションツールとなったのはFAX(ファックス、ファクシミリ)だった。
主に患者会を通じて知り合った人たちとFAXのやり取りをした。
電話だとお互いの体調があり電話に向かえるか心配だし、かつ遠距離だと電話代がかかる。ということで、大変重宝した。
親しくなった人の誕生日には、「おめでとう」とお祝いの言葉を書いたFAXを送りあったものである。
亡くなった人とのやり取りもあったので大切に保管していたけれど、当時は感熱紙を使っていたためにほとんどが真っ白になってしまい処分した。
待ってました!インターネットさま
ここからの時系列は定かでない。私が思いつくままに書いている。
1995年、Windows95というパソコンのOS(オペレーションシステム)が発売された。私にはその価値がわからなかったけれど、世の中はちょっとしたお祭り騒ぎだった。
それに伴い家庭でもパソコンが導入され始める。
そしてインターネットも個人で利用し始める人が増えだした。
最初の頃はダイヤルアップ接続だったと思う。それがADSLとなり、光ファイバーとなり…通信速度が増して行った。
私の場合は父がパソコンを使っており、そのパソコンを譲り受けたタイミングでインターネット接続を始めた。といってもパソコンはとても高価だったし、月々の使用料も気になるので(最初の頃は定額制ではなかった)おっかなびっくり、恐るおそる始めた。
インターネット環境が整うとメールを始めた。
メール交換するには相手も当然メールアドレスを有していなければならないのだが、患者会の人たちは皆かなり早い段階でインターネットを開始していたし、メールアドレスを取得していた。
「私のメールアドレスです。○○.--ne.jp」
とFAXで相手に知らせ、その相手からメールが届くか確認するときのドキドキわくわく感は、小さな頃からメールよりもLINEが主流となっている人たちには理解しにくいかもしれない。
とにかく、楽しかった。
毎日毎日、メールで会話した。
FAXだと書く作業が面倒だし、送信した内容をご家族に見られることもある。
だが、メールは一対一なのだ。
会えないのに、一対一のコミュニケーションが取れる。
そりゃ声は聞けないけれど、互いの体調の良いタイミングでメールを読み、返事を書けば良いので便利だった。
そうこうしているうちに携帯電話が普及し始め、携帯からもメールができるようになった。
最初の頃はショートメールが送れるだけだったように思う。
徐々に文字数が増えていき、今ではかなりの長文が送れるだろう(といっても、今はLINEの方が便利でみんなメールを送る機会はかなり減っているはずだ)。
携帯「電話」としての役割も大きい。
相手の自宅ではなく、個人に直接電話できるのだ。家族を介することなく、一足飛びで相手と話ができる。すごいぞ携帯電話!てな感じ。
最初の頃は通話料も高かったが、徐々に「毎月一定額を支払うことで指定した番号との通話料はかからない」などのサービスが登場。
世のカップルがキャッキャうふふと電話したかどうかは定かでないけど、少なくとも私と夫(その頃は彼氏)にとっては大変ありがたいことだった。
私は一人で容易に外出できなかったし、遠距離だったため会いたいから会おうなどということはできなかった。メールや電話で連絡を取れたのは本当にありがたかった。
一方、少し遡ることになると思うが、インターネットではチャットができるようになっていた。
メールとは違い、複数人で同時にメッセージのやり取りをする。そうして「おしゃべり」を楽しむのだ。
外出して集団に加わりみんなで談笑する…なんてことはすっかり無縁になっていた私にとって、チャットも楽しみの一つだった。チャットはリアルタイムでのやり取りなので、より「その場で集まっている感」が強かったように思う。
ついつい夜更かしして話し込むということも少なくなかった。
また、私はゲームにほとんど興味を持たなかったのでよく理解していないものの、オンラインゲームの登場も、直接関わったことのない人と一緒にゲームができるという楽しさを生み出していただろう。
あとは某ちゃんねる。
あまり近寄らなかった。私には単純にその面白さがわからなかったのだが、同じテーマについてどんどん語るのは気持ち良かったのではないだろうか。
やってきたわね、スマホさん
そしてスマホの登場。
パカパカケータイ(いわゆるガラパゴスケータイ)でもいろいろできるようになっていたのに、スマホは更に上を行った。
何よりもLINEが驚きだった。
「既読スルー」というのが子どもたちの間で問題になって、いじめに発展する…ということを耳にするが、私にとってはこの「既読」確認ができるということが大変便利なのだ。
例えば調子が悪くて入院している友だちがいる。
その人が手術などの大きな治療をした場合、迷惑にならない程度のLINEを送っておく。
そしてそのメッセージに「既読」とついたら、返事なんてなくていい。
「ああ良かった、ひとまずLINEを見るまでには落ち着いたんだ」と思って泣きそうに嬉しくなる。
夫にとっては私の安否確認の手段でもある。
「面倒だったり調子が悪かったら返信しなくて良い。とにかく『既読』にして」と言われている。
そうして仕事の合間にLINEを送ってくる。「既読」がつけば安心する…という具合だ。
LINEの「既読」は本来こういう形での利用が正解なんじゃないかなぁ、なんて思う。
…知らんけど。
そしてFacebookに始まりTwitterなどのSNSの登場だ。
SNSはコミュニケーションの在り様を大きく変えたのではないか、と個人的には思っている。
それまでも、インターネットを通じて不特定多数の知らない人と関わる機会は増えていった。だが、SNSはより個人的なことをより多くの他者と共有し共感しあえるものように感じる。
いずれにせよ、インターネットの出現は私のような「動きたくても動きにくい(動けない)人間」のコミュニケーション手段を広げ、(極端な表現をするならば)家や施設という小さな空間から「解放した」と思っている。
つづく。