今日もしおれ気味。

前向きも良いけど、私は今日も大体しおれ気味。

ジェントル先生

11歳の入院中、私は恋をした。

 

…と、書くとすごーく素敵な話なのですが、正しくは「恋のような錯覚を持つくらい執刀医を好きになった」です笑

 

今日はそんな、私の思い出話にお付き合いください。

 

ジェントル先生はジェントルマン

私は11歳のときに先天性心疾患の治療の一環として、

手術のために入院→安定せず入退院を繰り返す→再手術、ということがありました。

その再手術を担当してくれたのが「ジェントル先生」です。

 

当時私が入院していた病院では、起床と共にカーテンを開け放すということをしていました。

病棟の廊下から丸見え。患者同士のプライバシーゼロ。

 

そんな中、主治医を始めとする先生方が様子を見に来てくれるのですが、先生方が私を聴診するときは私が子どもということもあり、カーテンを閉める先生はいませんでした。

「そういうものだ」と思っていたものの、やはり男の子と同室だとなんとなく恥ずかしい気もしていました。

 

そして二度目の手術が決まると執刀医がジェントル先生になり、それと共にジェントル先生は私の主治医となりました。

ジェントル先生、初めての診察。

 

颯爽と現れた先生は聴診器を取り出しつつ、カーテンをシャーっと閉めました。

 

「カーテン!!閉めた!!!」

 

私のそのときの衝撃ったらありません。

なんだか、とても嬉しかったのです。

私が一人の女性なんだと認めてもらえた気がして。

もう、それだけできゅんとしました笑

 

また、ジェントル先生は当時としては珍しく、ふんわりと良い香りがする先生でした。

当時は男性といえばポマード!ポマード最強!ポマード万歳!

ということで、多くの男性はそばによるとポマードの香りがしていました。

そこにあって、ジェントル先生の良い香り具合ったら!!

 

11歳の私、もう好印象しかありません(単純だし)。

 

 

入り口はともかくとして、ジェントル先生は実に外科医らしい、なんでもハッキリものごとを伝える先生でした。

私に対しても、曖昧に答えるということはなく、ど直球。

「先生、〇〇したらどうなるんですか?」

のような質問をしたとして

「それはやってみないとわからない。でも全力は尽くすよ」

と、こんな感じ。

嘘がなかった。

だからかな。ジェントル先生が笑顔で「大丈夫」といえば「ああ、大丈夫なんだな」と信じることができました。

でも、逆に言えば先生の顔から笑顔が消えて、鋭い眼差しのときは「私やばいんだな」と一発でわかるので、その表情の先生とはお会いしたくなかったです。

 

ちなみに一切触れていませんが、私は一度目の執刀医も好きでした。

手術後のしんどさと先生に対する敬意は別物です。

なんだか、このままでは一度目の執刀医があんまりな人になってしまう…(ごめん先生)。

 

とはいえ、これは私の場合。

私は大好きで全幅の信頼を寄せていますが、人によっては感じ方が異なります。

あの直球なところが苦手に感じる人もおられるでしょう。

それにジェントル先生が外科医である以上、やはり亡くなってしまう人もおられるわけで、憎いと思う人、訴えたいと考えている人もおられました。

 

私は、自分が「好き・信頼できる」と思える先生が執刀医であったこと、出会えたことに感謝しています。

 

 

外科医は手先が器用

そうそう、ジェントル先生といえばもう一つ思い出すことが。

私は二度目の手術の後、ICUで本能のままにしゃべり続けていたときがあったそうです(本人に記憶はない)。

両親は驚いて

「一度目の術後はこんな感じではなかったし、こんな娘は見たことがない」

とジェントル先生に聞いたそうです。

ジェントル先生からの答えは

「今回は前回より少し麻酔の量が大人に近かった。そのため感情の抑制が取れて(いわゆるタガが外れる状態)います。時間と共に落ち着きます」

というような説明を受けたそう。

 

ということで、感情のままにものごとを訴える私。

 

そんな私の気持ちが落ち着くようにと、ベッドサイドに真っ白い犬のぬいぐるみを置いてもらっていましたが。

そのぬいぐるみに私の血液が少しついてしまったことがあります。

慌てて何らかの薬剤で拭いてくださったようなのですが、何やら化学反応を起こして真っ青に。

私は「ひどいよー、ひどいよー。元の白い子に戻してよー」とギャン泣きしてたらしく…ついにジェントル先生出動。

 

ぬいぐるみの青くなった部分だけを、ぱっと見ではそこが短くなっているとわからないくらいに綺麗にカットしてくれました。

元の真っ白な犬に戻って私は納得して大人しくなったそうです。

とても綺麗な、鮮やかな毛のカット具合に、母は「さすが外科医や…」と感心したそうです。

  

先生に再会

11歳の術後、退院まではそれほど時間を必要としませんでした。

退院してからジェントル先生に直接お世話になることはなかったものの、入院するたびに気にかけてくださいましたし、病院を退職された後も細々と年賀状のやり取りを通して連絡を取っています。

 

そんなジェントル先生と十数年振りで再開することになりました。

 

きっかけは、私の結婚。

 

私が結婚することを報告すると「じゃあ会おう」と先生から言っていただき、お会いすることになりました。

 

お会いするまでは結構緊張しましたが、会ってしまえばあの頃と同じジェントル先生が。

もちろん年齢を重ねておられて、先生、格好良いままだけど…老けた!などと失礼なことを思ったものの…私もすっかり大人ですから、お互いさまですね。

 

結婚することを本当に喜んでくださって、とても嬉しかったです。

ただ、相変わらず包み隠さない先生なので

「いずれ手術が必要になる時期は来ると思うよ。(いわゆる)健康な人でもだんだん心臓が衰えて手術が必要な場合も出てくるわけだし、君の場合はもう仕方ない」

と、眩しいほどの笑顔で言われたけれど、先生らしいというか。

 

先生が私に贈ってくださったアートフラワーは、今も大事に飾っています。

 

ジェントル先生は私にとって神さまでもあります。

こういう表現が嫌いな人もおられるでしょうが、やはり神さまなのです。

だって、先生がいなければ私は死んでいたかもしれません。

私の「今」に繋がる道は、ジェントル先生が作ってくださったと思っています。

 

先生に「俺が執刀した患者、長生きやなぁ~」と喜んでもらえるよう、ぼちぼち頑張ろうと思っています。