産めない側の風景…の、更に内側
前回、私のブログのアクセス数はとんでもないことになりました。
「ひゃ〜」「どひゃ〜」と言う毎日。
そして、たくさんの方に読んでいただけるということは、それだけたくさんの反応(感想)をいただくということです。
それら反応を拝見していて、私の文章の拙さや気持ちを、もう少しおぎなえたらと筆…じゃなくてパソコンに向かいました。
前回の記事はこちら。
私は今現在、子どもを持てないことを残念とは思いますが、辛くてたまらない、悲しくてたまらない、とは思っていません。
相変わらず隣の芝生は青く見えます。
もちろん、羨ましい気持ちが溢れていてじゃばじゃばも同じです。
でも、その想いと現実は違います。
私には毎日の生活があります。
だって仕方ないんだもーん
前回の記事でも書いた通り、妊娠出産が禁忌であることに対する受容は、時間がかかるのではないかと思っています。
とはいえ受容できようができまいが、泣いて暮らせば解決する話ではなく、ひとことで言うなら「仕方ない」。
それだけです。
悲しい気持ちもそりゃたまにはありますが、だからと言って悲しい気持ちで満たされると、私の毎日が悲しいものになってしまう。
そんなのもったいない。
☆
それから、私が妊娠した場合のことをもう一歩踏み込んで書きます。
少し、直接的な表現をします。
(ただし、ここで書くことはやはり「私個人」の話であり、先天性心疾患の女性や私と同じ病名の人全てに当てはまるわけではありません。)
私は、妊娠してもそれを継続することができません。それを望めばお腹の中の子もろとも、おそらく私は死にます。
そして堕胎手術でも死ぬ可能性が高いです。
私は、以前お世話になった医師(当時説明いただいた主治医ではありません)曰く「妊娠がわかったら一刻も早く病院に来て堕胎」が望ましい体なんだそう。
ということで、タイミングを誤れば死にます。
でもその事実に反して、実際に堕胎しようにも簡単にことは運ばないでしょう。
私は先天性心疾患の中でも比較的重度の部類に入るようです。加えて薬に対するアレルギーなどの面倒ごとも抱えており、どんな治療を行うにも一筋縄では行かないことの方が多いのです。
堕胎となれば、小児科、循環器内科、婦人科、麻酔科、ICU、場合によっては心臓外科などなど、多くの診療科を巻き込んだ一大プロジェクトになるやもしれません。
なるべく早く堕胎した方が私の心臓にとっては良いのですが、先生方も慎重にならざるを得ないし(だって油断したら死ぬし)、関係する科が多くて医師や看護師の調整に時間がかかり、しばらく苦しいまま待機が続く可能性もあるでしょう。
妊娠は、私にとっては何一つ得るものがない。
妊娠したら、何よりも子を失う悲しみに飲まれ、同時に体への負担の大きさに嘆き、実際の処置による体調増悪に苦しむでしょう。
今の私が抱く、悲しさや辛さとは比較できない感情に襲われるのではないか…そう考えています。
私は「産んだ側」になりたかった。
それは真実です。
けれどそれ以上に、私は夫と生きて行きたい。
そう願っています。
もう何をどう頑張っても産めません。
加えて私は40代ですし、さすがに医療の進歩を待てません笑
ですから、気の毒だなぁ、大丈夫かなぁと心配してくださる方、ありがとうございます。私は案外、今はのほほんとできています。
ただ…下を向いて、なかなか上を見れない人もたくさんおられます。
そういう人のことを責めないでください。
「あの人はもう上を向いて前に進んでいるのに君はなんだ」
と思わないでください。
人にはそれぞれの事情があり、それぞれのペースがあるから。
ゆっくり歩んでいる人に「早く早く!」と言わないでください。
別に何もしなくて良い。
立ち止まってつまずいて、たまには自分の殻に閉じこもって、そしてまたゆっくり歩いて。
そういう人もいるのだと、認識してもらえるだけで心強いです。
大人になれたからこその
その昔、先天性心疾患の人たちは二十歳を迎えるのが難しいと言われていた時代がありました。
当時はその子たちを「生かす」ことが目的で、その子たちの生活がどうの、その子たちの将来がどうのと考えるゆとりはありませんでした。
けれど医療技術が進歩し、生活水準が向上する中で、そうした子どもたちは生存が可能になりました(一方で亡くなる子もまだたくさんいます)。
大人になれるようになりました。
大人になれたら、いっぱいやりたいこと、ありません?
皆さんも、ありません?
私の場合、いろーんな「やりたいこと」の延長線上に結婚があり、そして出産がほんのりとあっただけです。
まさか結婚できるなんて思わなくて、それだけでも嬉しくて。ところがいざ結婚してみたら、思っていたより「産みたかった」が顔をのぞかせてしまったわけです。
欲が出ました。
でも、妊娠できない(してはいけない)とわかっているのに、どうしても授かりたいなどと思ったりはしません。
(※私の言う「できない」は体力や心臓疾患の状況等いくら努力しても医学的見地から無理という意味です。どうしても授かりたいと不妊治療に励む方たちを否定しているのではありません。 )
私は、子どもを持てないことは残念ですが、子どもを授かれるかどうかを考えられるくらいまで年を重ねることができたことを本当に嬉しく思っています。
大人になれたからこその、葛藤でもあります。
よく長生きしたね、私。
家族や友人、医療者の皆さんありがとう。
☆
とは言うものの。
入院しているときは、早く家に帰りたいなぁ、もう点滴も採血も鬱陶しい。家に帰れさえすれば…そう思います。
でもいざ家に帰ってみれば、アレもやりたい、コレもやりたいってなるんですよね。
そのアレやコレの中身は案外些細なものでもあるのですが。
人間って本当に欲張りだなぁと思います笑
夫と二人で良いかなと
あと、「養子縁組という手段はどうか」という提案をDMなどを通じていただきました。
みんな優しいです。
私の記事に対していろいろと受け止めてくださって、これまで話したことも会ったこともない私を心配してくださって、提案してくださって。
だからきちんと書いておこうと思います。
私と夫、私たち夫婦は養子縁組を考えていません。
そもそも子どもがいないならいないで、二人で生活できれば良いねというところから結婚に至ったので、養子縁組については一瞬考えて終わりました。
また現実的に言えば、私の体調は安定しておらず、ひょいと入院することがあります。
結婚して2年後には在宅酸素が始まり、年々体力の衰えを感じています。
夫と協力して子育て…と言っても、私が入院するときはそれ相応にしんどい状態ですので、夫も気が気じゃないでしょう。
そんな私たちの暮らしは、小さい人を育てる環境として適さないと考えています。
子を育むならば、少なくとも(実際にできるかどうかは別としても)その子を中心に考えて行動しなくてはならないだろう、と私は思っています。
私にそれはできない。
私はもう、自分の体調を維持することで手一杯です。
むしろそれすら危ういかも。
だからこそ、日々育児をされている保護者の皆さんを見かけては「尊敬してます」ビームを放つのです。
私には絶対にできない。
ですから…ありがとうございます。
そのお気持ちだけ、いただいておきます。
私は私のペースを維持しながら、なんとか長生きしながら、夫と二人で暮らして行きたいと思っています。
☆
子どもを持たない人、持てない人、持とうと頑張っている人。
人はそれぞれの事情を持ちながら生活しています。
私が特別なわけじゃない。
きっともっと複雑で、いろんな想いを抱えて生きている人がいるはずです。
そんな中で、私のブログに目をとめてくださって、話に耳を傾けてくださってありがとうございました。とても感謝しています。
そして、あなたの日常がなるべく穏やかなものであるよう願っています。
…あと、良かったらこれからもブログを見ていただけると嬉しいです♡