今日もしおれ気味。

前向きも良いけど、私は今日も大体しおれ気味。

付き添い母たちの日常

付き添い入院をされているお母さん方がTwitterで経過報告をされているのを見ると、「良い時代だなぁ」と思います。

 

では、私の入院時(30年超前)母たちは何をしていただろうか。

そんな風に思い、記憶を辿ってみました。

 

 異様な日々

TwitterなどのSNSもなければメールもなく、いや、そもそもスマホも携帯もない時代。

連絡手段と言えば公衆電話から電話をかけるのみで、相手が留守だと留守電にメッセージを残すのが精いっぱい。

パソコンは家庭に普及するずっと前だから当然持ち込むこともなく、DVDもないし、ビデオデッキを病院に持ち込む猛者もいませんでした(ビデオデッキも高級家電だったはず)。

 

あるのは病院のテレビとラジオ(とはいえいろんな医療機器の影響でほとんどガーピーうるさいだけで終わる)、あとは家族が持ち込んでくれる新聞くらいかな?

病棟のテレビにしても見るためにはテレビカードが必要で、お金もかかるので最低限しかスイッチを入れません。

ニュースを目にする機会はあまりなく、世間から隔絶された感覚になったのは、何も入院している子どもたちだけではなかったでしょう

 

起床とともにカーテン開け放ち状態の病棟。

親しかろうが親しくなかろうが、私のような病児や他の付き添い入院中のお母さんたちと挨拶をすることから一日が始まります。

 

言葉を交わすようになれば、話をするようになります。

そのうち互いの子の状態を話し、主治医の話(愚痴含む)をし、情報を交換し、互いに勉強しあう。そしてだんだんとお母さん同士の絆のようなものが生まれていました。

(もちろん人付き合いが苦手なお母さんもいますし、みんなそういうお母さんに無理強いして話すようなことはしていませんでした。でも何か…例えばトイレに全然行けてない等のピンチそうな場面に出会うと、「見ててあげるから早く行きなよ!」的にぐいぐい話しかけてました)

 

お母さんたちは病児の状態が安定していればその間にトイレに走り、ごはんを猛烈な勢いで食べ、洗濯をしに行き、銭湯に飛んで行っていました。

 

トイレの回数は私の母含め、めちゃくちゃ少なかったように思います。

たぶんみんな便秘。

 

そうだ、昔の付き添いさんの椅子って背もたれなしのパイプの丸椅子でした。

 ↑こういうの。

クッションやら座布団やらを敷いても痛いものは痛い。

家から椅子を持ち込んでいる人もいましたが、病児と母に与えられたスペースは狭く、場所をとるものは極力置かないようにしていたので、たいていみんなこのままでした。

 

洗濯場は病院内にあったけれど、洗濯機は数がなくて、平成の世を目前にという時代に洗濯板で洗濯していたような…。

ちなみにコインランドリーは病院の近所にはありませんでした。

乾燥機はなかったはずで、その代わりに乾燥室があり、そこでみんな洗濯を干していました(私は行ったことがない)。

でもいろんな人の洗濯物が干してあるため、たまーに、間違えてシャツを持って行かれたり(返ってこないあたり、間違ったわけではなく盗ったんでしょうけど)。

 

 ☆

ごはんと言えばカップ麺やおにぎり、お弁当屋さんの弁当など(コンビニ弁当はそれほど種類がなかったと思います)。

病棟内に給湯室があり、蛇口をひねれば熱々のお湯が出たので、それは便利だったようです。(すごーくちょっとずつお湯が出る蛇口で、カップ麺にお湯をたっぷり注ぐのは忍耐が必要でした)

ポットを持ち込み、そのお湯を入れておいて病室でコーヒーを飲むお母さんが多く、インスタントカップコーヒーは母たちの愛すべき飲み物でした。

 

今付き添い入院のお母さんたちの間で話題のシリアルはフルグラ等はなく、コーンフレークのようなシンプルなものだけでしたし、ウイダーインゼリー的なものもなく、手軽に摂取できるものの王さまはカロリーメイトだったようです。

ただ、当時のカロリーメイトは粉っぽいしさほど美味しくもなく、不人気でした。

 

また、院内に付き添い入院の人のためのお風呂はなく、病院の近くにある銭湯の場所を先輩お母さんから聞き、お子さんが安定しているときに猛然ダッシュで入りに行っていました。

その際はお母さん同士で声を掛け合い、お子さんに何か変化がみられると、即座に留守番のお母さん(もちろん我が子は見ています)が看護師さんに報告する…というのがなんとなくのルールとして成り立っていました。

 

そして寝るときは、病院で貸し出しているボンボンベッド(リクライニングベッドってお洒落な名前があるんですね)や布団をリネン室へ取りに行き、子どもたちのベッドの横にセット。

↑こんな感じ。でも、こんなに素敵じゃなかったです。

狭い空間、ボンボンベッドは腰が痛くなり、定期的に看護師さんが見回りに来る。

安眠とは程遠い状態でした。

 

みんな、だんだんとそれが当たり前になってきていたけれど、異様な日々だったと思います。

 

娯楽というほどのものはなくて、ゆとりがある時は本を読む人お母さんもいました。

週刊誌も人気。

お母さんたちそれぞれが違う週刊誌を買い、みんなで回し読みしていました。あんなに隅から隅まで読まれて、週刊誌も本望だったと思います。

 

病児以外の家族と離れ、異様な毎日を送れば母たちも精神的に追い込まれます。

ピリピリしているお母さんは多かったし、もともとの体型もあるでしょうが、私の母含めお母さんたちは痩せている人が多かった。

 

母たちの味方であれ

で、冒頭の「良い時代になった」です。

昔のお母さんたちの方が大変だった、なーんてことを言うつもりは毛頭もありません。

今は今ですごく大変だと、いろんなお母さんたちのツイートから垣間見れます。

 

でも、当時の母たちには外部との繋がりがほとんどありませんでした。

 

今はスマホさえあれば使用制限がされていない限り社会の動きを知ることができる。

SNSで他の人たちと繋がることができる。

気持ちを吐き出すことができる。

それは気持ちの上でずいぶん楽になるんじゃないでしょうか。

 

本当に、良い時代になったと感じます。

 

でも社会に繋がれるということは、自分と社会との間に溝があると実感することでもあると思うのです。

 

私自身、入院してスマホからネットに繋ぎ社会の動きを感じると、ときどき猛烈な孤独感を味わいます。社会との溝なんてあって当たり前のことなのに、それでも毎回同じ轍を踏んでしまいます。

SNSで自分よりしんどい人を見るといろいろ不満に思う自分を情けなく思うし、あるいは辛いと発信している人たちの言葉が自分に突き刺さり、引きずられそうになる。

 

そういう時は、しばしネットやSNSから離れて、日々変わり映えのしない入院生活を静かに受け入れることにしています。

 

お母さんたちが、外部と繋がることのできるツールに振り回されることなく、そうしたツールによって目の前のリアルと向き合えるための力が手に入りますように。

SNSがお母さんたちの味方になりますように。

今回、昔の母たちのことを書きながら、そんなことを感じています。

 

 

 

※入院中の写真をいろいろ見返していたら、当時病棟でお世話になっていた保母さん(子ども部屋の子たちのケアのため、看護師さん以外に保母さんが常駐していました)からいただいたカードが出てきました。

なんかちょっと嬉しくなったのでペタリ。

 

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