note始めました。
いつもブログを見てくださっている皆さん、どのくらいおられるかわからないけど木曜更新を楽しみにしてくださってる皆さん。
「今日も萎れ気味。」にご訪問ありがとうございます。
今回は木曜日ではなく、火曜日更新となりました。
ここのところ暗い記事が多くてうんざりされていたかもしれません。
私自身もちょっとうんざりしています。
それでも、ここで記事を書くことで私は平常心を保てていた気がします。
こういう場があって本当に良かった。そう感謝しています。
そんな中、noteを始めてみました。
noteにもnoteを始めた理由として書いていますが、私は皆さんにブログを見ていただいて欲が出ました。
もっといろんなことを書いてみたいなぁ、って。
とはいえ、私の考えが皆さんに通じるとは限りませんし、ただただでっかい「ひとりごと」になるかもしれません(その可能性大です)。
それでも、書いてみたいなと感じました。
背中を押してくださったのは、読んでくださった皆さんです(いやそんなつもりはないと思っておられる方もおられるでしょうが、まあそうおっしゃらずに笑)。
本当にブログ始めて良かった〜!
新しい世界が広がりました。
ありがとうございました。
☆
ただ、あまり器用ではないので、ブログもnoteも両方とはいかないと思います。
上手に使い分けもできません。
ひとまず、しばらくの間はnote中心にいろいろ書いていけたら…と考えています。
最終的にこのブログは閉店ガラガラってするかもしれません。
まだ先行きが見えませんが、それでもよろしければ、noteもお付き合いください。
ぱきら
ジェントル先生
11歳の入院中、私は恋をした。
…と、書くとすごーく素敵な話なのですが、正しくは「恋のような錯覚を持つくらい執刀医を好きになった」です笑
今日はそんな、私の思い出話にお付き合いください。
ジェントル先生はジェントルマン
私は11歳のときに先天性心疾患の治療の一環として、
手術のために入院→安定せず入退院を繰り返す→再手術、ということがありました。
その再手術を担当してくれたのが「ジェントル先生」です。
当時私が入院していた病院では、起床と共にカーテンを開け放すということをしていました。
病棟の廊下から丸見え。患者同士のプライバシーゼロ。
そんな中、主治医を始めとする先生方が様子を見に来てくれるのですが、先生方が私を聴診するときは私が子どもということもあり、カーテンを閉める先生はいませんでした。
「そういうものだ」と思っていたものの、やはり男の子と同室だとなんとなく恥ずかしい気もしていました。
そして二度目の手術が決まると執刀医がジェントル先生になり、それと共にジェントル先生は私の主治医となりました。
ジェントル先生、初めての診察。
颯爽と現れた先生は聴診器を取り出しつつ、カーテンをシャーっと閉めました。
「カーテン!!閉めた!!!」
私のそのときの衝撃ったらありません。
なんだか、とても嬉しかったのです。
私が一人の女性なんだと認めてもらえた気がして。
もう、それだけできゅんとしました笑
また、ジェントル先生は当時としては珍しく、ふんわりと良い香りがする先生でした。
当時は男性といえばポマード!ポマード最強!ポマード万歳!
ということで、多くの男性はそばによるとポマードの香りがしていました。
そこにあって、ジェントル先生の良い香り具合ったら!!
11歳の私、もう好印象しかありません(単純だし)。
入り口はともかくとして、ジェントル先生は実に外科医らしい、なんでもハッキリものごとを伝える先生でした。
私に対しても、曖昧に答えるということはなく、ど直球。
「先生、〇〇したらどうなるんですか?」
のような質問をしたとして
「それはやってみないとわからない。でも全力は尽くすよ」
と、こんな感じ。
嘘がなかった。
だからかな。ジェントル先生が笑顔で「大丈夫」といえば「ああ、大丈夫なんだな」と信じることができました。
でも、逆に言えば先生の顔から笑顔が消えて、鋭い眼差しのときは「私やばいんだな」と一発でわかるので、その表情の先生とはお会いしたくなかったです。
ちなみに一切触れていませんが、私は一度目の執刀医も好きでした。
手術後のしんどさと先生に対する敬意は別物です。
なんだか、このままでは一度目の執刀医があんまりな人になってしまう…(ごめん先生)。
☆
とはいえ、これは私の場合。
私は大好きで全幅の信頼を寄せていますが、人によっては感じ方が異なります。
あの直球なところが苦手に感じる人もおられるでしょう。
それにジェントル先生が外科医である以上、やはり亡くなってしまう人もおられるわけで、憎いと思う人、訴えたいと考えている人もおられました。
私は、自分が「好き・信頼できる」と思える先生が執刀医であったこと、出会えたことに感謝しています。
外科医は手先が器用
そうそう、ジェントル先生といえばもう一つ思い出すことが。
私は二度目の手術の後、ICUで本能のままにしゃべり続けていたときがあったそうです(本人に記憶はない)。
両親は驚いて
「一度目の術後はこんな感じではなかったし、こんな娘は見たことがない」
とジェントル先生に聞いたそうです。
ジェントル先生からの答えは
「今回は前回より少し麻酔の量が大人に近かった。そのため感情の抑制が取れて(いわゆるタガが外れる状態)います。時間と共に落ち着きます」
というような説明を受けたそう。
ということで、感情のままにものごとを訴える私。
そんな私の気持ちが落ち着くようにと、ベッドサイドに真っ白い犬のぬいぐるみを置いてもらっていましたが。
そのぬいぐるみに私の血液が少しついてしまったことがあります。
慌てて何らかの薬剤で拭いてくださったようなのですが、何やら化学反応を起こして真っ青に。
私は「ひどいよー、ひどいよー。元の白い子に戻してよー」とギャン泣きしてたらしく…ついにジェントル先生出動。
ぬいぐるみの青くなった部分だけを、ぱっと見ではそこが短くなっているとわからないくらいに綺麗にカットしてくれました。
元の真っ白な犬に戻って私は納得して大人しくなったそうです。
とても綺麗な、鮮やかな毛のカット具合に、母は「さすが外科医や…」と感心したそうです。
先生に再会
11歳の術後、退院まではそれほど時間を必要としませんでした。
退院してからジェントル先生に直接お世話になることはなかったものの、入院するたびに気にかけてくださいましたし、病院を退職された後も細々と年賀状のやり取りを通して連絡を取っています。
そんなジェントル先生と十数年振りで再開することになりました。
きっかけは、私の結婚。
私が結婚することを報告すると「じゃあ会おう」と先生から言っていただき、お会いすることになりました。
お会いするまでは結構緊張しましたが、会ってしまえばあの頃と同じジェントル先生が。
もちろん年齢を重ねておられて、先生、格好良いままだけど…老けた!などと失礼なことを思ったものの…私もすっかり大人ですから、お互いさまですね。
結婚することを本当に喜んでくださって、とても嬉しかったです。
ただ、相変わらず包み隠さない先生なので
「いずれ手術が必要になる時期は来ると思うよ。(いわゆる)健康な人でもだんだん心臓が衰えて手術が必要な場合も出てくるわけだし、君の場合はもう仕方ない」
と、眩しいほどの笑顔で言われたけれど、先生らしいというか。
先生が私に贈ってくださったアートフラワーは、今も大事に飾っています。
ジェントル先生は私にとって神さまでもあります。
こういう表現が嫌いな人もおられるでしょうが、やはり神さまなのです。
だって、先生がいなければ私は死んでいたかもしれません。
私の「今」に繋がる道は、ジェントル先生が作ってくださったと思っています。
先生に「俺が執刀した患者、長生きやなぁ~」と喜んでもらえるよう、ぼちぼち頑張ろうと思っています。
あなたへ
誰にともなく書き始めています。
例えば私が人生で一度も行くことのないであろうキャバクラ。
今回の自粛要請で営業自粛。
うんうん、そうだよねと思うものの(キャバ嬢始め働いてる方を否定してるわけではありません。彼女たちはいろんな人と話す能力を持つかっこいい人たちです)、これがそう簡単な話でもないそう。
キャバクラでは、お酒と共に果物も提供されるらしい。
お店が休み→果物が不要→果物屋さんへの発注激減→生産者さんへの発注も激減→生産者さん急に収穫量のコントロールはできないので破棄→それぞれの売り上げが激減、経営難。
高級料亭が休業すると、例えばフグ料理がなくなるのでフグの需要が減り、漁師さんが困るとか(獲れても価格が下がる)。
あまり漁に出ないよう調整するけど、いろんな食事処が休業すれば結局いろんな種類のお魚の需要が減るらしく、いつまでもそんな状態が続けば死活問題に。
ああ、一つの業界の動きが停止するということは、芋づる式にいろんな業界に影響を及ぼすのだ。
社会は単体で成り立っているわけじゃない。
つくづくそう感じています。
心、もやもや
「在宅ワークができるヤツは恵まれている」とつぶやいてる人がいて、それにいいねがたくさんついていて、私の感覚とは違うなと思いました。
在宅ワークができる職種の人にはその人なりの苦労があるだろうし、そもそもその職種に就くため努力して就職してその人の「今」があるのに、それを批判するのは少し違和感があります。
あと、芸能人やスポーツ選手が「おうちにいましょう」「手洗いしましょう」と言っていることに対して、「広い家から言いやがって、上からだ」という、もうどうしたの落ち着いてと思う意見もあって。
彼らは彼らでいろんな苦労や努力の末に成功し、広い家に住んでいるわけで。
それに彼らが広い家に住むことで、その家を作る人や管理する人が発生しているのだから、経済を回している部分もあって。その文句はお門違いでしょう。
☆
医療者へ感謝の気持ちを持って「ありがとう」と思っていますが、医療者の中には「そんな言葉なんかいらない」と反発されている方がおられるよう。
そうだろうな、上部の感謝だと不愉快だろうなと感じる反面、普段から医療機関にはお世話になっている身としては、その言葉しか出ないのです。
感染しないこと、そのことがもちろん一番の貢献ではあるものの、感染とは関係なく、どんなに注意してても基礎疾患のために突然不調になって入院…なんてこともあり得るわけで。
そんなことになれば、本当にこんな時期に手を煩わせて申し訳ないと、きっと涙が出るだろうと想像しています。
だからせめて、体調の落ち着いている今は感謝の言葉を口にすることを許していただきたい。そして、どうかご無事で。
☆
夫の心が少し荒んできています。
夫は在宅ワークのない職種。
今も出勤しています。
職場の人たちとの新型肺炎に対する危機感の違いや「自分たちは感染しない」という緩い考えにイライラが募るようです。
こういう人は多いのではないか、と思っています。
こんな状況の中、サーフィンをする人たち、旅行に行く人たちを見ると歯がゆいです。
(ちなみに日本サーフィン連盟は「全てのサーファーの皆さんへ」と自粛を呼び掛けています)
全てのサーファーの皆さんへ | NSA 一般社団法人日本サーフィン連盟
真面目にいろんなことを、自粛という名の我慢を続けている人ほど怒りがこみ上げるのではないかと思います。
心が擦り減ってしまいそう。
悩み、ぐるぐる
そんな夫の仕事。
どうやら少し減るようです。
出勤する日数が減る、すなわちお給料も減ります。
じわりと、経済的不安が見え始めてきました。
が、我が家は今すぐどうのということではありません。とはいえ、この期間がどのくらい続くのか…半年先の金銭面はどうなっているのかを考えるのが怖い。
ああ、これが今この瞬間たちまちにお金がないと思っている人たちの悩みなのだ。
不安で不安で夜も眠れないことだろうと、少しだけ自分に引き寄せて考えることができました。
世界的な不況になるのがわかっている以上、この先ボーナスも減るでしょうし、しれっと給与そのものが減る可能性も大です。
先が見えない、このことがしんどい。
☆
毎週欠かさず注文した商品を届けてくれる生協のお兄さんや、ネットでポチッと注文する機会が増えて、その荷物を配達してくれる宅配業者の人たち。
あなたたちのおかげで、私はあまり大きな変化なく生活できています。本当にありがとうございます。
通販でいろんな物を買うことで、今お休みしているお店を支援することができるというのも多いらしく、私も何か買えたらなぁと思っています(とはいえ必要以上に物を買わないタイプの私、なかなか実行に移せない)。
ただ一方で、私のような人が増えたらそれはそれで宅配業者さんの負担が大きくなるのではとも感じています。
「そんなもの、業者に任せておけば良い」という意見もあるでしょう。
でも彼らの体も一つきりで、彼らにも限界はある。その限界スレスレまで働かせるのが良いことだとは、私には思えません。
支援と実際に動く(働く)人と。
このパワーバランスが崩れるのも不味いのではないか、そう感じています。
疑問、ずるずる
「国民の皆さまには〜」という文言で始まる「政治家の皆さま」の言葉。
確かに政治家は国民から選ばれた人たちだけれど、なぜそんなに偉そうなのか不思議です。
たぶん、忘れているのでしょう。
「自分たちもその国民の皆さまの一人である」ということを。
もう少し、その意識をきちんと持ってはいかがかと思わずにはいられません。
弱い立場の人に寄り添って、とは言いません。
一般的な感覚を持ち合わせて欲しい。
しかし、こんなブログでああだこうだと言っても正直意味はないでしょう。
ぶちぶち文句をSNSで呟いたとて、それが国を動かすムーブメントにまで育つとは考えにくい(もちろんそういうケースもあるけれど)。
また、SNSだと「自分とは違う考え方」に対してなぜだかみんな攻撃的で、一致団結とは行きにくいようにも思います。
あなたの声は、やはりあなたが発信するのが一番ではないか。
ということで、直接首相官邸にご意見メールを出せば良いのではないかしら。
ご意見募集(首相官邸に対するご意見・ご感想) | ご意見・ご感想 | 首相官邸ホームページ
それが必ずしもきちんと「政治家の皆さん」に伝わるとは限らないけれど、SNSで罵り続けるよりはずっと建設的ではないかと思っています。
もちろん、SNSで呟く内容は自由だし、私も文句ぶちぶち書いちゃうし、それが悪いことだとも思っていません。
あなたのつぶやきはあなたのものだもの。
そしてこういうことは強制されるものではないですし、一つの考えとして受け止めてくだされば良いと思っています。
意見、さまざま
コロナが終息した後の世界のことを「アフターコロナ」というそうです。
(コロナが発生した時期からをすでにアフターコロナとし、現在を含んだ意味合いもあるそうですが、私は終息後の世界と受け止めています)
あなたのアフターコロナはどこにありますか。
私個人の考えだと、5月6日が終わりだとは到底思えません。
そしておそらく大多数の人がそう感じているはずです。
「今が我慢のときです」というような言葉もちょいちょい聞かれますが「今」だけではない。
おそらくあと半年だの一年だのという期間は我慢する必要が出てくるでしょう。
そろそろ、政治家の皆さんは方向転換をすべきだと感じています。
「少なくともあと〇ヶ月は我慢が続きますが、ご協力お願いします」というように。
私の中でこの世界がアフターコロナになるのは、ワクチンが完成して、予防接種が安全にできるようになって、その予防接種をほとんどの人が受けている状態になったときです。(反ワクチン派の人にも強制力を持って摂取して欲しい)
でも経済活動を止め続けるわけにはいかないから、患者数の減り具合を見つつ自粛要請を緩和させて行くでしょう。
「今」感染しないことはもちろんだけれど、一度誕生した感染症はそう容易く根絶されないので、私のような基礎疾患がある者にとってのアフターコロナは遠いのかもしれません(あくまでも私の見解です)。
☆
一つの物事を考えるとき、それぞれの立場や思想でその意見は大きく変わります。
SNSでは特にそういうことがあって、Aという物事に対して「赤」と考える人、「青」や「黄」と考える人がおれば「いやいや黒でしょ」という人もいます。
そうした意見に耳を傾けることは大切だし、そのことで自分には予想もつかない考え方を知って勉強になることは多くあります。
これまでに私が書いている内容についても、賛同してくださる人がおられる一方で、どうしても納得がいかないと思うおられる人もいるでしょう。
それが当たり前だと考えています。
でも…。
今現在、世の中はあまりにもトゲトゲした声が大き過ぎやしないかと感じるのです。
不安がそうさせているのだとは思いますが、自分と異なる声に対して、怖いほど攻撃的になっている人が多いのではないでしょうか。
そして負の意見が渦巻いている。
一方でその渦に巻き込まれないようにと息を潜めて、周囲に対して気を遣い過ぎている人も多いように感じます。
もう少し、呼吸が楽になれば良いのに。
私、ゆらゆら
…とかなんとかわかった風なことを書いている私は、最近知らず知らず唇を噛み締めるようになっています。
油断すると不安になります。
集中力に欠けています。
最低限の家事はするけど、そのほかの時間の使い方がどうもうまく行きません。
Amazonプライムで何か見たり、買ったままになっている本を読めば良いものを、ぼんやりと過ごす時間が長くなりました。ああ、もったいない。
心を平穏にしようとついつい「あつ森」をしては悪徳狸に搾取され続けているのですが、そんな時間を過ごしていると、今度はなんとも言えない「現実から目を逸らしている感」に包まれます。
では、と情報を得ようといろんなものを見ると憂鬱になります。
そしていろんな声を耳にしては、揺さぶられ続けています。
あまり好ましい状態ではないなと感じています。
「自分を平静に保つことの難しさ」を思い知る毎日です。
ケセラセラが信条の私、もう少し肩の力を抜きたい。
☆
そこのあなた。
あなたはまだ心の平穏を保てていますか。
いろんな職種の人がいて、例えば医療従事者に多くのスポットが当たっているけれど、私は介護職に携わる人たちも「命」を預かっている職種なので日々…安易な表現で申し訳ないけれど…大変だろうなと思っています。
スーパーやドラッグストアの店員さんも、多くの窓口業務の人たちも、畜産、農業、漁業…ほかにもたくさん、零れ落ちている業種があるに違いない。
そうそう、夢を与えてくれる音楽や芸能関係の人たちも我慢されてますよね。
家でお子さんと過ごしておられる親御さんに、お子さん自身に、私のような専業主婦の人も、基礎疾患もある人も。
新しい命を宿している人や、今現在入院中の人、いろんな手術等が控えている人。
この状況でお気楽な人は(一部自分は感染しないと信じ切っている人を除けば)ほとんどいません。
いつもいろんなことを頑張ってくれて、我慢してくれて、ときどきイーッとなりながらも生活を続けてくれてありがとう。
不安に飲み込まれるのはまずい。
でも、抱え込むのもまずい。
長期戦突入、私はほんの少しだけ、あなたとこのわけのわからない気持ちを共有したいです。
…でも、新型肺炎に関するブログは今日でおしまいにします。
終息してそののちに思い出話として書くことができますように。
暗い記事になってしまいました。
読んでくださってありがとうございました。
薬の管理はあのねのね
いやぁ、毎日楽しいことを探すのが難しいです。
皆さん、ちゃんと笑えてますか?
私は割と家でじっとしていることに慣れていますが、とはいえこの状況。
いつまでこの張りつめた感じが続くのやら…と思うと辟易しています。
で。
こんなときにブログを書こうとしても、何も浮かばない。
まあ、書かなくてもなんの問題もないのですが、せっかくなので続けたい。
困ったなぁ、ひとまず薬のセットでもするかと薬を納めている缶を取り出してふと思い立ちました。
いつでもどこでも手放すことのできない薬について書いてみようかな、と。
きっと、このブログを読んでくださる方の多くは薬を服用している、またはお子さんに薬を飲ませている方だと思うのです。
では皆さんは、薬をどのように扱っておらえるだろうか。
そんな疑問がむくむくと湧き出しました。
ということで、今回は薬の効能等ではなく、私の薬の管理方法を書いていこうと思います。
あなたの管理の仕方とどう違うでしょう。
缶の中身はなんだろな
私と薬の出会い…もはや覚えていません。
気がつけば薬を飲んでいました。
薬の自己管理は中学生くらいから行っていたと思います(正直覚えていない)。
基本的に月に一度薬を処方され持ち帰る…の繰り返し。
気がついたときにはそこそこの量を飲むようになり、持ち帰る薬の量もそれなりになっていました。
そして、薬の保管場所はいつからか母が使い始めた缶に固定されました(現在の缶はたぶん二代目)。
確か、京都のお土産が入っていたという缶。
かわいらしくて使い始めたよう。
何よりも、この適度な大きさ。
(横に薬を置いてみました。大きい感じが伝わりますか?)
ガバガバ薬が入れられます(粉薬を飲むようになってからは入りきらないけれど)。
嫁入り道具として真っ先に選ばれた物です笑
お菓子の袋に入っているシリカゲルを見つけては缶の中にポイっ。
適度に入れ替えてます。
☆
↓ こちらは一日分の管理に使っている、100均で買ってきてもらったなんか透明なやつ。
ざっくりと頭の中で区切りをつけておいて、前日の夜に缶から明日の分の薬を取り出し、ここに置いておきます。
私は袋からいちいち薬を出すのが嫌で、毎日この作業をしています。
昼の薬がなくなったので、ここには適宜利用のものを適当に入れています。
私は一日10種類ほどの薬を飲んでいます。
そんなに多くないほうですが、こうすることで飲み忘れもないし、数が合わないで残っていたなんてこともありません。
入れ物はそのときどきで変化するものの、こうした作業は30年以上続けていると思います。
↓ おでかけの際の薬を入れるケース。
こちらも二代目です。
初代はお友だちにいただいた京都土産(なんだか京都に縁がある)。
「小さいピルケースだとどうせ入りきらないだろうから」
と、よくご存じですねありがとうとむせび泣…きはしないけれど、感激した一品でした。
初代がくたびれて来たなと思っていたら、それとよく似たものを母がこれまた京都で発見、買ってきてくれたのがこれです。
ざっくり朝・昼・夜 で分けて入れておけばOK。
ただ、かなりパンパンになるのでこれ以上薬が増えないことを願いつつ使っています笑
写真がどれもこれも粉っぽいのは、まさに粉薬の粉が混じっているからです。
お見苦しいでしょうが、お許しください。
とても便利なおくすり手帳アプリ
「おくすり手帳」が一般的になったのはいつからでしょう。
これも記憶にありません。
紙のおくすり手帳も併用していますが、ここ数年は「おくすり手帳アプリ」を利用しています。
薬の登録もQRコードで簡単にできますし、登録した薬の名前をタップすればすぐに薬に関する情報を(副作用も)見られるのも便利。
一錠あたりの薬価もわかるので、それを見ては医療保険のありがたみを感じています。
これ、全額自己負担だと飲み続けるのが難しいだろうな…。
機種変更をしても設定しておけばきちんとデータを引き継げるので、過去に使った薬が簡単に見ることができて助かります。
☆
私は現在の病院とは別に、実家の方の病院(結婚まで通っていた病院)にも年に一回ペースで受診しています。
たまに実家の方の病院で薬を処方されるのですが、これがややこしい。
例えば、私は現在の病院でBという薬を処方されています。
BはAという先発薬のジェネリック薬品です。
通常飲んでいるのが
ジェネリック薬 B
1錠2.5㎎を1日量0.5錠なので、朝夕2回、一回当たり0.25錠分の粉薬
ところが実家の方の病院だと
先発薬 A
1錠1.25㎎を1日量1錠なので、朝夕2回、一回当たり0.5錠(つまり半錠)
薬の形状が粉薬から錠剤へと変化します。
一瞬、「は?」ってなりませんか。
これをおくすり手帳アプリでしっかり確認すると、ああ、そもそもの1錠当たりの㎎が違うんだなとわかります。
もちろん紙媒体のおくすり手帳でも比較はできますが、この病院でもらった薬は…と遡るのはアプリの方が簡単だと感じています。
ちょい多めで持っておく
おくすり手帳アプリを使っている強みとしては、災害のときでもスマホさえあれば処方されている薬が何であるかをすぐに見られることだと思っています。
それと、私は少し多めに薬を保管しています。
阪神淡路大震災以降そのようにしています。
もしも何か災害にあって薬が手に入らなかったら。
一日分飲まなくても死なないでしょう。
でも、それが数日続けば確実に心不全は悪化すると思っています。
ひとまず、5日分。
現在私は5日分多めに薬を保管しています。
メモしてね、保管もよろしく!
数年前、私が心房細動を起こして病院に行ったときのこと。
小児科から循環器内科に転科して間がない*1、ハンサム主治医に代わってさほど経たないとき。
ハンサム主治医はそれでも、私が薬に対して敏感だということを把握していました。
そして私に聞きます。
「どんな抗不整脈剤がどうあかんかった?」
わあ、突然聞かれても困る~。
でもそうか、こちらの病院に私の子ども時代のデータがあるわけないもんね。
私はベッドに寝たまま必死に頭の中で記憶を手繰ります。
11歳の頃の私が何を飲んでいたのか…一応母から教えてもらっているぞ頑張れ私。
とはいえこちとら胸がバクバク、きちんと記憶を遡ることができない。
「〇〇と△△と…う~、なんでダメだったかはすみません、記憶にないです」
「じゃあ、⬜︎⬜︎は飲んだことある?」
「たぶん飲んだけど中止になりました。でもはっきりしません」
するとハンサム主治医は言いました。
「じゃ、お母さんに聞こう」
「へ?」
ということで、病院の電話を渡された夫(なんとか駆けつけた)が、私の実家に電話することに。
後で聞いたところによれば、知らない番号からの電話で母は警戒したそうな。
私も母と話をした気がしますが、しんどさが先行していてあまり覚えていません。
ただ、ハンサム主治医が母と話していたのはぼんやり見ていました。
「あ、はじめまして、僕主治医の〇〇です。ぱきらさんが子どもの頃飲んでいた薬についてお伺いしたいのですが…」
ああ、かわいそうな母。
なぜ40(当時)にもなる娘の心配をしつつ、過去の記憶を総動員して薬の名前を思い出さねばならないのか。
そしてハンサム主治医と初顔合わせ?がまさかの電話。
しかし母はすごかった。
ざっとではあるものの、当時飲み続けるのが難しかった抗不整脈剤をハンサム主治医に伝えました。
結局、その場で安心して使える抗不整脈剤はなかったのだけれど、母の情報は「薬が使えないことが明確にわかった」ので役に立ったようでした。
☆
後日、母に当時の入院記録を書き留めていたノートを送ってもらいました。
ノートにはいろんな薬について、開始した時期や飲み始めて何分後にどのようにしんどくなり始めるかなどが、メモ程度ですが書かれていました。
当時の記憶と共に振り返りながら、私は大事な部分と思われる個所を書き写しました。
私も、ある程度の年齢になってからは自分自身で、今一つしっくり来なかった薬についてメモするようにしています。
だけどやっぱり子ども時代のことは不鮮明で。
母から聞いているつもりでも、想像以上に抜け落ちていたなと感じています。
だからこのノートがあって良かったと思っています。
本当に、お母さんありがとう。
今、お子さんに薬を飲ませている親御さんがいらしたら、同じようにしろとは言いません。もちろんお子さんの現状をすべてを書き留める必要はありません。
ただ、あまり効果がなかったり、副反応が出た薬についてはメモしておいて欲しいです。
大人になったとき、そのメモは必ず役に立ちます。
☆
この年齢になるまでどんだけ薬飲んでるねんという感じですが…死ぬまでこれは続くでしょう。
なのに、あいにくと私は薬との相性が悪くなりがち。
記録することは大切だと感じています。
薬は体を楽にしてくれるけれど、毒にもなりうる。
気を引き締めつつ、これからも(面倒だけれど)忘れることなく飲み続けたいです。
これから先も、新薬はたくさん出てくるでしょう。
不整脈に効果的な薬も、いろんなものが誕生すれば良いと思っています。
でもひとまず、新型肺炎にバシッと効く特効薬ができますように。
そして、願わくば副作用なく私にも使用できますように。
*1:先天性心疾患の子どもたちは、大人になって以降も小児科を受診することが多い(私もその一人で、転科できたのは40歳前くらい)。なぜなら循環器内科に転科しても、「先天性心疾患患者を診ることができる」循環器内科医師がほとんどいないから。
循環器内科の医師の多くは、「正しい心臓の形」をもって生まれた人たちが大人になってから生じる循環器系の疾患に対する医療知識しかなく、「心臓そのものが通常とは違う形」をもつ人たちの循環器系の疾患に関して対応することができない。現在は少しずつではあるものの、先天性心疾患についても学び、診ようという医師が増えてきている。ハンサム主治医もその一人。この話はまたいつか。
「私らしさ」がわからない
春。
入学された皆さん、おめでとうございます。
なんだかとても大変な時期と重なってしまって喜びがうやむやになってしまいそうだけれど、あなたの努力があったからこその入学です。
それはもう、喜んでください。
さて、皆さんへ私から質問があります。
あなたは、ご自分の「私らしさ」が何なのかご存知ですか?
40代、まだわからぬ「らしさ」
私はいまだに「私らしさ」が何なのかわからないでいます。
「私らしく」勉強も恋も頑張ります!
というような文言を見かけると、
「この人自分の『らしさ』がわかってるんやなぁ」とただただ感心するのです。
私にとって私らしいとは、何なのか。
よくわかりません。
「らしさ」についていろいろ調べてみても、大抵が
「そのものの特徴、特性がよく出ていることを表す観念」を指すようです。
(※観念も難しい言葉ですよね。「物事について抱く考えや意識」という感じのよう)
こうしたものを見る限り、個人的には「らしさ」=「個性」よりも、もう少し強い「かくあるべし」のようなものを感じます。
☆
他のことで考えてみます。
男性らしさ、女性らしさ。
(性別による特性?)
子どもらしさ、大人らしさ。
(年齢による違い?)
年寄りらしさ、障害者らしさ。
(ううむ…)
私は「ぱきらさんって病気の人らしくないよね」
と言われることが稀にあるのですが、そもそも病気の人らしいとは何であるのかがよくわかりません。
しかしこの言葉、言ってる側としては私を否定しているというより、「病気の人らしくない明るさだね」等々の良い意味で言ってるのでしょう。
それでも私の中では若干モヤッとしたものが残ります。
(病気の人らしい暗さとかってあるの…?)
あるいは「〇〇らしさがない」、「〇〇らしくしろ!」
と言われるとむしろカチンと来る場合も出てきます。
こうして見ると、どちらかと言えば否定的なイメージのある言葉に感じます。
ところがこの「らしさ」に「私」や「自分」が付くと、とても前向きできちんと自分のことを把握しているように思えます。
なんなの、これ。
経験の少なさ故か
その昔、浜崎あゆみさんは
「Far Away」という曲の中で
♬新しく 私らしく あなたらしく…
と歌い出していました。
ふんわり伝わる言いたいこと。
私はこのふんわりの中身を、自分の中に落とし込むことができないでいるのです。
☆
そもそも、こんなことをまだうだうだと悩む40代自体あまりいない気がします。
みんなはっきりとした自分の好きなもの、趣味、生き方、思想…これらをお持ちなのでしょう。
そうしたものはきっと、生きて行く過程で自分で気づいていくのかもしれません。
となると、 私は社会に出た経験があまりにもなさ過ぎて、小さな世界しか知らない。
だから自分で自分の特性を発見できないまま大人になったのかもしれません。
これはちょっと情けないなと感じています。
どなたか先生が学会発表されていたはずですが、先天性心疾患の人は「心理的発達が遅い」「社会性に欠ける」部分があるそう。
(✳︎失礼なほどザックリ書いています。先生ご自身の研究結果であり裏付けもなされているものと思われます。)
これを聞いて私は、少なくとも私の周りの先天性心疾患の人が社会性に欠けるなんて思ったことがなく、内心ムッとしました。
では、自分に当てはめるとどうだろう。
…うん、社会性に欠けていると思う。
飛び抜けている部分があるとすれば、入院生活だの治療体験だのといった、心疾患を由来とするものばかり。
学校生活やバイト、就職、恋愛、旅行、友人とのケンカなんかも含まれるかな?
そういう一般的に経験しているであろう体験を、ほとんどしたことがない。
びっくりするくらいない。
本来的に身についているべき経験値が圧倒的に低すぎる。
これを社会性というのならば、私は確実に社会性に欠けている。
だから「私らしさ」がつかめないまま大人になったのかしら。
そんな風に思っています。
では、そんな自分を嫌いなのかと聞かれると、案外そうでもありません。
卑下しようと思えばたぶんどこまででも卑下できると思うけれど、どっこい私はこうやって生きてきた自分が間違っているとは思っていません。
だって私、精いっぱい生きてるんですもの。
誇りに思うまで行くかどうかはさて置いて、自分を否定するつもりはない。
あつかましい?
何とでも言って。おほほほほ。
「私なりに」生きてます
今回なぜこんなことを書いているのかと言いますと。
最近、なんだかとっても「自分らしく頑張ります」みたいな若い人が多い気がして、それでは息が詰まるんではないだろうかと思うことがあるからです。
もちろん、自分の特性や、あるべき姿のようなものをきちんと把握している人はいるでしょう。とても素敵なことです。
その一方で
「私らしさ」って何?
ああ、頑張らなきゃ。
私らしさを見つけて、私らしく頑張らなきゃ。
と、追い込まれている人も見受けらえる気がするのです。
いいか諸君。
私を見よ。
私らしさを掴み損ねて気づけば40代。
それでもそれなりに生きています。
…いやまぁ、褒められたことではないのかもしれないけれど、ね。
☆
私は私らしさがわからないので、最終的に「私なりに」生きることにしています。
私なり…自分に相応の力で、努力で、頑張りで。
そのときどきに自分が出せる力を発揮できたら、それでいいかな。
なーんて呑気なことを言えるのは、私が社会に出て揉まれた経験がないからかもしれませんね。
世の中それほど容易くはない。
でも。
新生活を送る上で、しかもこんな異常事態な中での新年度の始まりで、自分を見失いそうな人がいたら私は背中をさすさす撫でながら言いたいのです。
「大丈夫だよ、ひとまずあなたなりのペースで良いじゃん。あなたらしさはそのうち身につくんだと思うよ。…私、経験ないから保証はできないけど」と(最後が無責任)。
終わりに。
私はその昔、通学生の高校に入学しました。
でも体調を崩して入退院を繰り返して、休学して、最終的に高校を中退しました。
決めたのは私ですが、本意ではありませんでした。
それから10年ほどして通信制の高校に編入、通信制の大学に進学しました。
成績はともかくも、勉強って楽しいんだなと、特に大学の4年間は無我夢中でした。
そこで得たものはたくさんあるものの、たまにそれまでの約10年間を想うのです。
その10年もいろいろなことがあって、決して無駄ではなかったと考えています。
けれどその時期、その年齢だからこそ学校や社会の中で得られるものがあったのではないかとも感じています。
しんどいこと、辛いことはたくさん出てくるでしょう。
最終的にもう無理だ〜!ってなれば投げ出しても良いと思います。
けれど、できればいっぱい笑って過ごしてください。
もちろん無理してまで笑う必要なんてないけれど、「あなたなりに」輝いて欲しいと願っています。
今のあなたの年齢を謳歌してください。
以上、私らしさのわからない40代主婦からのお祝いメッセージでした笑
一年後に会いましょう
例の新型肺炎の影響で、世間がザワザワしています。
不安は不安を招くので、できるだけ新型肺炎に関する発言はしないように意識しています。
でも、少しだけ。
(コロナのコの字も聞きたくないわという方は、どうぞページを閉じてください)
怖いもんは怖いんやで
「疲弊」
自分の精神面と世間の雰囲気 、今一番しっくり来る言葉はこれではないかと感じています。
毎日毎日繰り返される新型肺炎のニュース。
増える感染者数。
亡くなる人の数(そしてその中に志村けんさんが含まれたこと)。
不要不急の外出自粛要請と、それを意に介さない人たち。
新型肺炎が「関係ない」と思える人たちは、これまでに周囲で誰かが亡くなるという経験がなかったのだろうか。だとしたら、とても恵まれている。
それとも、最期まで苦しそうだった人を知っているからこそ、今この瞬間を楽しく!と思っているのだろうか。刹那的な生き方で、それはそれで苦しそう。
いずれにせよ、とても気をつけている人とそうでない人との落差に、私はもちろん世間のイライラが募っているように感じます。
☆
私は言わずと知れた(?)先天性心疾患という基礎疾患持ちです。
一般的に言われている
「感染・発症すると重症化、あるいは死亡するリスクの高い人」です。
前回の受診時にハンサム主治医*1に聞くと
「ぱきらさんが感染したら重症化して、場合によっては死の危険だからなぁ」と、内容に釣り合わない呑気さで言われました。
その先生ののんびりした口調も相まってか、私は今回の新型肺炎について、当初怖さはあったものの「まあでも、そのうち落ち着くだろう」と楽観的に捉えていました。
でもじわじわと増え続ける感染者数に、だんだんと「これはヤバいぞ」と危機感いっぱいに。
あの頃の私、ちょっとそこに正座しなさい。
夫とお互い感染したらどうなるかというシミュレーションをしてみましたが、どうにもこうにもバッドエンドです。
非常にまずい。
「正しく恐れましょう」と言われても、ほんとにもう、怖いもんは怖いのです。
そしてそれは私だけではないはずで、基礎疾患のある人やそのご家族は戦々恐々とされていると思います。
もちろん、いわゆる健康な人でも危機感を抱いている人は多くいますが、実際に感染した場合を考えると、やはり格段に危機感が違う。
家庭内「非常事態宣言」を出せるとしたら、もう出まくりです。
それでも、外出をしないようにしていても、どうしても出かけなければいけない場面は出てきますし、家族がウイルスを持ち込むかもしれません。
こんなことが続いたら、張りつめて、はち切れてしまう。
私は怖いと感じ始めるととことん怖いと思ってしまう性質なので、「怖い」を見て見ぬふりをしていた部分があります。
でも、今回はそれでは息が詰まりそう。
だから私は最近、怖いことを我慢しないでおこう、怖がる自分を許してあげようと思っています。
ということで、私怖いです。
いえ、巻き込み系怖い人(なんだそりゃ)になるのは嫌なので、皆さんをお誘いはしませんが、もう、怖いときは怖いで良いかなと思っています。
そうしたら少しだけ、楽になった気がします。
いずれ必ず過去になる
ふと、一年前のこの頃の私を思い出してみました。
きっかけは自分の服装でした。
そろそろ春物の服かなとクローゼットの中をゴソゴソ探すも、春物の服がほとんどない。
ああそうだ、一年前の春、私は入退院を繰り返していたんだっけな。
2月に退院してからは落ち着いてるなとホッとしたのもつかの間、3月31日に心房粗動を再発し入院、4月1日の「令和」発表をなんだかとても寂しい気持ちで病室で見ていたっけ。
で、タイミング悪くハンサム主治医が長期出張のため留守で、初めましての先生(先天性を診た経験なしの純度100%循環器内科医)に診ていただくというスリリングな展開に。
数日間は心房粗動の状態を維持してBNP爆上がり、ハンサム主治医が華麗に舞い戻ってきたところで話し合ってDC(直流除細動器、電気ショックです)*2をしてもらいいったん退院、改めてアブレーションのために入院。
いざアブレーションしたは良いものの、負担の少ないようにと行った鎮静があまり効かず、最終的にぐいぐい挿管され喉を傷めた…のを、思い出してきたぞ…。
うん、ろくでもなかったな。
☆
これは私だけの癖なのかもしれませんが…。
私は入院や強烈にしんどい状態になると、ぼんやりと
「これもそのうち『あんなことあったな』と振り返られる日が来るはず」
と思います。
本当は一週間後の自分さえも不透明だけど、それでも。
この痛みも苦しみも、全部まとめて過去になる。
だから今は堪えろ。
そしていつも、(その結果が自分の求める望ましいものかどうかは別としても)そうした日々は過去になっています。
今回も、そうなると思っています。
ただ今回がいつもと異なるのは、当事者が私だけではないということ。
これまでは感染症にさほど関心がなかった、いわば傍観者だった多くの人も、感染して当事者になる可能性が出てきた。
そしてこれがいつまで続くのかわからない。
これが強烈なまでに人々を不安にさせている要因だと思っています。
自分がしんどいとき、私が「いずれ過去になる」と踏ん張れたのは、ある意味私の周囲が、私の存在など関係なく「日常」を過ごしていたからです。
でも今回は、私もろとも周囲全てが非日常かつ「異常事態」に放り込まれて、関係者になってしまっている。
いずれ過去になると思いにくい。
「今」で手一杯になる。
これが、パンデミックの恐ろしさなのかもしれない、そう感じています。
一年後にお会いしましょう
私は感染症に詳しいわけでもなく、研究者でもないから何もできません。
ましてや医療者でもないので、どうぞ先生や看護師さんを始め多くの医療者が疲れ果て、すり減り、倒れることのありませんようにと願っているだけです。
日々戦ってくれてありがとうと思うのみです。
そしていろんなお店が持ちこたえて倒産を回避できれば良いと感じています。
なによりも、特効薬とワクチンが一日でも早く完成するようにと祈るしかできない。
ですから…予防はそりゃもちろんこれからもするけれど。
結局、最終的に私にできることは、日々、きちんと暮らすことだけです。
それしかできない。
☆
私はいつも心に留めていることがあります。
「今日の積み重ねが未来になる」
とにかく、今日という日を繰り返して過ごします。
その日がしんどくても、楽しくても、悲しくても、喜びに満ちていても。
その積み重ねが明日になり、未来の一歩になる。
その未来の一歩である「明日」が連綿と続いたとき、未来になるとだと考えています。
…とか書くと、「え?何か宗教でも?」と聞かれそうですが、夫も私も何かを強く信仰しているわけではありません。無宗教?
でも何かピンチ!と思うとついお参りしちゃう言うなれば勝手宗教です。
まあいいや。
とにかく、「今日の積み重ねが未来になる」。
それを今一度自分の中に叩き込んで、怖いけれど、毎日過ごしていこうと思います。
一か月先の展望が見えません。
だから一年後なんてもう全く見えません。
もちろん、たとえ一年後終息していたとしても、特効薬やワクチンができていなければ基礎疾患のある当事者、家族にとってはまだまだ静かなる戦いが続くのでしょう。
それでも、一年後には。
そのときは「昨春はコロナコロナで怖かったねぇ」と皆さんで振り返ることができれば良いと願っています。
いっぱい我慢や辛抱、不安な状態が続きますが、みんな無事に、一年後の未来でお会いしましょう。
「今」はいつか「過去」になるから。
目いっぱい、きれいごとだけど、そう願っています。
産めない側の風景…の、更に内側
前回、私のブログのアクセス数はとんでもないことになりました。
「ひゃ〜」「どひゃ〜」と言う毎日。
そして、たくさんの方に読んでいただけるということは、それだけたくさんの反応(感想)をいただくということです。
それら反応を拝見していて、私の文章の拙さや気持ちを、もう少しおぎなえたらと筆…じゃなくてパソコンに向かいました。
前回の記事はこちら。
私は今現在、子どもを持てないことを残念とは思いますが、辛くてたまらない、悲しくてたまらない、とは思っていません。
相変わらず隣の芝生は青く見えます。
もちろん、羨ましい気持ちが溢れていてじゃばじゃばも同じです。
でも、その想いと現実は違います。
私には毎日の生活があります。
だって仕方ないんだもーん
前回の記事でも書いた通り、妊娠出産が禁忌であることに対する受容は、時間がかかるのではないかと思っています。
とはいえ受容できようができまいが、泣いて暮らせば解決する話ではなく、ひとことで言うなら「仕方ない」。
それだけです。
悲しい気持ちもそりゃたまにはありますが、だからと言って悲しい気持ちで満たされると、私の毎日が悲しいものになってしまう。
そんなのもったいない。
☆
それから、私が妊娠した場合のことをもう一歩踏み込んで書きます。
少し、直接的な表現をします。
(ただし、ここで書くことはやはり「私個人」の話であり、先天性心疾患の女性や私と同じ病名の人全てに当てはまるわけではありません。)
私は、妊娠してもそれを継続することができません。それを望めばお腹の中の子もろとも、おそらく私は死にます。
そして堕胎手術でも死ぬ可能性が高いです。
私は、以前お世話になった医師(当時説明いただいた主治医ではありません)曰く「妊娠がわかったら一刻も早く病院に来て堕胎」が望ましい体なんだそう。
ということで、タイミングを誤れば死にます。
でもその事実に反して、実際に堕胎しようにも簡単にことは運ばないでしょう。
私は先天性心疾患の中でも比較的重度の部類に入るようです。加えて薬に対するアレルギーなどの面倒ごとも抱えており、どんな治療を行うにも一筋縄では行かないことの方が多いのです。
堕胎となれば、小児科、循環器内科、婦人科、麻酔科、ICU、場合によっては心臓外科などなど、多くの診療科を巻き込んだ一大プロジェクトになるやもしれません。
なるべく早く堕胎した方が私の心臓にとっては良いのですが、先生方も慎重にならざるを得ないし(だって油断したら死ぬし)、関係する科が多くて医師や看護師の調整に時間がかかり、しばらく苦しいまま待機が続く可能性もあるでしょう。
妊娠は、私にとっては何一つ得るものがない。
妊娠したら、何よりも子を失う悲しみに飲まれ、同時に体への負担の大きさに嘆き、実際の処置による体調増悪に苦しむでしょう。
今の私が抱く、悲しさや辛さとは比較できない感情に襲われるのではないか…そう考えています。
私は「産んだ側」になりたかった。
それは真実です。
けれどそれ以上に、私は夫と生きて行きたい。
そう願っています。
もう何をどう頑張っても産めません。
加えて私は40代ですし、さすがに医療の進歩を待てません笑
ですから、気の毒だなぁ、大丈夫かなぁと心配してくださる方、ありがとうございます。私は案外、今はのほほんとできています。
ただ…下を向いて、なかなか上を見れない人もたくさんおられます。
そういう人のことを責めないでください。
「あの人はもう上を向いて前に進んでいるのに君はなんだ」
と思わないでください。
人にはそれぞれの事情があり、それぞれのペースがあるから。
ゆっくり歩んでいる人に「早く早く!」と言わないでください。
別に何もしなくて良い。
立ち止まってつまずいて、たまには自分の殻に閉じこもって、そしてまたゆっくり歩いて。
そういう人もいるのだと、認識してもらえるだけで心強いです。
大人になれたからこその
その昔、先天性心疾患の人たちは二十歳を迎えるのが難しいと言われていた時代がありました。
当時はその子たちを「生かす」ことが目的で、その子たちの生活がどうの、その子たちの将来がどうのと考えるゆとりはありませんでした。
けれど医療技術が進歩し、生活水準が向上する中で、そうした子どもたちは生存が可能になりました(一方で亡くなる子もまだたくさんいます)。
大人になれるようになりました。
大人になれたら、いっぱいやりたいこと、ありません?
皆さんも、ありません?
私の場合、いろーんな「やりたいこと」の延長線上に結婚があり、そして出産がほんのりとあっただけです。
まさか結婚できるなんて思わなくて、それだけでも嬉しくて。ところがいざ結婚してみたら、思っていたより「産みたかった」が顔をのぞかせてしまったわけです。
欲が出ました。
でも、妊娠できない(してはいけない)とわかっているのに、どうしても授かりたいなどと思ったりはしません。
(※私の言う「できない」は体力や心臓疾患の状況等いくら努力しても医学的見地から無理という意味です。どうしても授かりたいと不妊治療に励む方たちを否定しているのではありません。 )
私は、子どもを持てないことは残念ですが、子どもを授かれるかどうかを考えられるくらいまで年を重ねることができたことを本当に嬉しく思っています。
大人になれたからこその、葛藤でもあります。
よく長生きしたね、私。
家族や友人、医療者の皆さんありがとう。
☆
とは言うものの。
入院しているときは、早く家に帰りたいなぁ、もう点滴も採血も鬱陶しい。家に帰れさえすれば…そう思います。
でもいざ家に帰ってみれば、アレもやりたい、コレもやりたいってなるんですよね。
そのアレやコレの中身は案外些細なものでもあるのですが。
人間って本当に欲張りだなぁと思います笑
夫と二人で良いかなと
あと、「養子縁組という手段はどうか」という提案をDMなどを通じていただきました。
みんな優しいです。
私の記事に対していろいろと受け止めてくださって、これまで話したことも会ったこともない私を心配してくださって、提案してくださって。
だからきちんと書いておこうと思います。
私と夫、私たち夫婦は養子縁組を考えていません。
そもそも子どもがいないならいないで、二人で生活できれば良いねというところから結婚に至ったので、養子縁組については一瞬考えて終わりました。
また現実的に言えば、私の体調は安定しておらず、ひょいと入院することがあります。
結婚して2年後には在宅酸素が始まり、年々体力の衰えを感じています。
夫と協力して子育て…と言っても、私が入院するときはそれ相応にしんどい状態ですので、夫も気が気じゃないでしょう。
そんな私たちの暮らしは、小さい人を育てる環境として適さないと考えています。
子を育むならば、少なくとも(実際にできるかどうかは別としても)その子を中心に考えて行動しなくてはならないだろう、と私は思っています。
私にそれはできない。
私はもう、自分の体調を維持することで手一杯です。
むしろそれすら危ういかも。
だからこそ、日々育児をされている保護者の皆さんを見かけては「尊敬してます」ビームを放つのです。
私には絶対にできない。
ですから…ありがとうございます。
そのお気持ちだけ、いただいておきます。
私は私のペースを維持しながら、なんとか長生きしながら、夫と二人で暮らして行きたいと思っています。
☆
子どもを持たない人、持てない人、持とうと頑張っている人。
人はそれぞれの事情を持ちながら生活しています。
私が特別なわけじゃない。
きっともっと複雑で、いろんな想いを抱えて生きている人がいるはずです。
そんな中で、私のブログに目をとめてくださって、話に耳を傾けてくださってありがとうございました。とても感謝しています。
そして、あなたの日常がなるべく穏やかなものであるよう願っています。
…あと、良かったらこれからもブログを見ていただけると嬉しいです♡