今日もしおれ気味。

前向きも良いけど、私は今日も大体しおれ気味。

招かれざる見舞い客

今年は暖冬というけれど、それでも寒い日はあります。

11歳の入院中も、温室のような院内だったけれど足元は寒かったなぁ、なんて思ったり。

そんなことを考えていると、ふとあの頃にあったお見舞いのことを思い出しました。

 

招かれざる見舞い客

私は…というか、私の両親は当時、学校からのお見舞いを断っていました。

まず、私の状態が安定していないこと。

感染予防の観点から来て欲しくないこと。

そしておそらく、むやみやたらに励まして欲しくなかったんだと思います。

 

また、親戚に対しても同じようにお願いしていました。

私の親戚はみなすぐに察してくれ、ほとんどお見舞いに来ることがなくなりました。

また、もし来るとしても事前に父母に連絡を取り了解を得てからでないと来ることはありませんでした。

 

私自身も自分の体調が不安定で、お見舞いの人にしんどい姿を見られるのも気を遣うのも嫌だったので、誰もお見舞いに来ないことをさほど寂しいとは思っていませんでした。

 

ちなみに、約30年前に私が入院した病棟は小児科ではありませんので、それほどお見舞いに対しての制約はありませんでした。

今のように個人情報が…とかもなく、病棟受付で○○さんおられます?と聞けば病室を教えてもらえました(今は入院時に見舞い客に対して病室等教えて良いか確認されますよね)。

 

とある日。

母が用事で席を外していたときのこと。

 

「ぱきらさん」

声をかけられそちらを見ると、私が通う小学校の、違うクラスの担任A先生とその生徒たちがいました。

 

さて、私は1組(仮)の生徒です。

目の前にいるのは2組(仮)のA先生とその生徒たち。

生徒は5~6人はいたでしょうか。全員女の子でした。

自分のクラスの子がお見舞いに来るならまだしも、違うクラスの子たち。かつて同じクラスだった子はいたけれど、話したことのない子もいました。

 

私は状況を把握できませんでした。

 

この2組のA先生は男性で、熱血先生で有名だった人です。

先生はにこにこ笑顔でベッドサイドに来ました。

生徒たちは髪にリボンをつけていたり、制服とは違うかわいい恰好をしていました。ちょっとしたおでかけのときに着るような格好、とでも言いましょうか。

そして、珍しいものを見るように(実際に珍しかったとも思います)部屋の中をきょろきょろと見渡していました。

 

私はというと、毎日お風呂に入れる状態でもなかったし(というか清拭止まりだったと思う)、髪もボサボサ、パジャマ姿。

 

すごくすごくすごく、恥ずかしかった。

 

何よりも、2組の彼女たちが私になんの興味も示していなくて、先生に言われたからついてきましたという風がありありと感じられて…私はこのとき生まれて初めて、自分がみじめだなと感じました。

 

「頑張ってるか!?」

そう言われて面会が始まった気がします。

今なら「それはそれは頑張っているのでご心配なく」くらいのことを笑顔で言えたでしょうが、当時は私もかわいい(?)11歳の子ども。

もう、ただただ早くこの時間が過ぎることだけを願っていた気がします。

A先生が引き連れてきた生徒たちと会話した記憶はありません。

したのかな…本当に覚えてないや。

 

何分くらいいたのだろう。きっとそれほど長くはなかったはず。

 

最後にA先生に「しっかり頑張るんだぞ!」と言われながら握手されたことを覚えています。

 

泣きたい気分でした。

 

もうね、毎日頑張ってたんですよ私。

というか、頑張って何とかなることなら超絶頑張るんです私も。

でも頑張ってどうにかなることじゃなくて。

 

私は基本的に「頑張ってね」には割とすんなり「ありがとう」と言える優等生なんです(自分で言ってみる笑)。

そして 「頑張ってね」の裏に潜むものが「応援しているよ」とかなら嬉しくもあります。

もしくは、病児のお母さんや看護師さんたちの「(わかる…わかるよ、大変だよね。辛いけどなんとかしのいでね。私もうまく行くよう念じておくから)頑張ってね」という想いがぎゅうぎゅうに詰め込まれた「頑張ってね」もありがたい。

 

けれどA先生の言葉は素直にありがとうと思えませんでした。

私の頑張りが足りないからまだ入院しているんじゃないのか。もっと気合い入れなさいと言われているような、追い込まれていく「頑張ってね」でした。

 

あと、握手されたのもとてつもなく嫌でした。

 

冬ですよ。

外から来たんですよ。手洗いもしてないんですよ。

 

感 染 症 怖 い ( ;∀;)

 

それに、そもそもこの年頃になれば父ともそんな手を握ったりしないのに、なんで先生ってだけで握手するの。私の同意も待たずに手を取ってにぎにぎ。今ならセクハラだ!(…になります?)

 

A先生たちが帰ってから、私は手をすぐに石鹸で洗いました。

 

誰のためのお見舞いか

 同室の付き添い入院中のお母さんから「…誰あれ?」と聞かれたのを覚えています。

「学校の先生」と答えると、なんだかとても怒っていました。

「なんなん、あれ?ずっとうちの子のことジロジロ見てたけど、あんなんが先生なん!?」

 

私は私のことで精いっぱいでわからなかったけれど、A先生はかなり不躾に同室の病児たちのことを見ていたようです。

 

ああ、最悪。

私は情けなくて恥ずかしくて仕方ありませんでした。

 

そのお母さんは「ごめんね、ぱきらちゃんのせいじゃないのに」と謝ってくれていましたが、いやいや、ほんとあんなんが先生でごめんなさい。

 

 

その後このことを知った母は烈火のごとく怒りました。

文句を学校側に伝えたかどうかは知りません。

まあ例え伝えたとしても、先生からすればせっかくお見舞いに行ったのになぜ苦情を言われるのか意味がわからなかったかもしれませんね。

 

今なら思うのです。

A先生に引き連れられて来た彼女たちも意味不明だったことでしょう。

どういう経緯で彼女たちが選抜されたのかわかりませんが、たいして親しくもない…というか車いすに乗ってる同級生がいるなくらいに思っていた子もいたはずで、その子のところへお見舞いに駆り出されて、もしかしたら彼女たちも困っていたかも。

 

病院だ入院だということに縁がなく過ごしていたのに、急にそんな場所に放り込まれてそりゃ戸惑うし、キョロキョロもするって。

 

ベッドの上で弱っちく座っていた私を見て、何か得るものがあったのだろうか。

「ああ、命って大切」とか思えただろうか。

 

…思ってないし思えないだろうなぁ。

 

なんていうか。

人が他者の「命」を自分に引き付けて考えることができるのって、その他者が自分にとって身近だったり大事な人だったりするときだと思うんです。

例えば自分の好きなおばあちゃんが入院していれば元気になって欲しいだろうし、その命が消えたら悲しい。

でも、ただ名前を聞いたことがあるだけの芸能人が「〇〇病で重篤です」と言われても「へぇ、大変だね。助かると良いね」くらいなものではないでしょうか(その芸能人が他界して、ファンがすごく嘆いてるのを見ればまた感じ方は変化するとは思いますが)。

 

私をポンと目の前に出しただけでは、たぶん「命の授業」にはならないんじゃないかなぁ。

 

誰か教えて欲しい。

あれは、誰のためのお見舞いだったのでしょう。

 

 

それ以降、私はお見舞いに来てもらうのがなんとなく怖くなりました。

最近は随分マシになったものの、それでもまだ少し抵抗があって、だから入院していることを本当に親しい人にしか言えなかったりします(入院の回数が多いのでいちいち報告するのが面倒というのもあります)

サプライズ的お見舞いも苦手で…事前に「行くよー」って伝えてもらってからじゃないと、ありがたいけどなんかソワソワします。

この歳になった今でさえも、です。

A先生の置き土産はかなり大きかったと言えるでしょう。

 

そういえばA先生はジャッキーチェンさんに少し似ていると言われていました。

私はしばらくジャッキーチェンが苦手でした。

たぶん、A先生のせいだわ。ごめんねジャッキー。

そんなジャッキーさん、あなたも65歳なんですね。これからもご活躍お祈り申し上げます。

 

…なんの話でしたっけ。

 

 

お見舞いは、その患者と家族のためにあるものだと思っています。

直接病院に「行く」ことが必ずしもお見舞いではありません。

「早く元気になるんだよ」そう念じてくださるだけで、嬉しいですからね。