今日もしおれ気味。

前向きも良いけど、私は今日も大体しおれ気味。

学びは遠くて

入院中の勉強って、皆さんどうしてたんでしょう。

 

11歳の時の入院は長期間に及び、私はすっかり学校の勉強についていけなくなっていました。

 

院内学級への道

病院でも公〇や〇〇ゼミみたいな通信教材で勉強していたものの、しんどいと気力が湧かないし、あれよあれよと置いてけぼりに。

 

ということで、私の両親は考えました。

「院内学級」へ通えないだろうかと。

 

ところがこの院内学級に通うためには、正式な転校手続きが必要なのでした。

退院して落ち着けばまた今の学校に通うのに、わざわざ転校手続きを?

そしてもし院内学級から元の小学校に戻るとしたら、再び転校手続きが必要になるとのこと。

 

私の入院は長期に渡っていたけれど、だからと言って今後も長く入院し続けるかどうかは不明です。

ならば転校などせずとも、しばらくの間だけでも院内学級に通えたら…。

と考えるものの、転校手続き必須。

 

ひとまず私は小児科の中にある院内学級を見学することになりました。

 

車いすで小児科に連れて行ってもらい、見学。

そこにはお馴染みのそうくんもいました。

(そうくんについては 師匠は小学4年生 - 今日もしおれ気味。 をご覧いただければと思います)

 

そのほかにもチラホラと小学低学年~高学年の子どもたちがみんな一緒に勉強しています。

私は、ここで勉強できるのかな、楽しそうだなという気持ちと、転校したらどうなるのかな、学校へ戻ったら(これまでの)クラスの子たちはどう思うのかなという気持ちが入り混じっていました。

 

で、結局。

 

院内学級には通いませんでした。

見学させてもらった直後からまた状態が不安定になり、院内学級への通学が難しくなったのです。

また、転校手続きにはかなり時間がかかるとのことで、両親は転校手続き中に退院→再転校手続きということもあり得る…と踏み切れなかったようです。

 

今現在、院内学級へ通うためには転校手続きが必要なのでしょうか。

今回この記事を書くにあたってほんの少しだけ調べましたが、やはり基本的には転校手続きが必要そう。

臨機応変に対応してくれるところもありそうではあるものの、地域によるバラつきがある様子です。

 

30年も経ったのに

私が院内学級に通えないかと思ったのが約30年前。

30年です。

 

たまに報道等で「入院している子どもに学びを」とかいう特集で、分身ロボットを使って学校の授業に参加するとか、オンラインで指導を受けるとかいうのを見かけます。

確かにすごい。すごいけど…わざわざニュースになるんです。大多数がそうした教育を受けられないからこそ、紹介されるしニュースになる。

病気や障害で入院している子どもたちに対する教育環境は、30年前からほとんど進歩していないのではないかと感じます。

 

30年の間にどんだけテクノロジーだのウェブ環境だのが進化したと思ってるんだ。

もっとなんとかならんのか(怒)。

 

分身ロボットで授業に参加もそれはそれで素敵。

でもその時しんどかったら参加できないし、そもそも分身ロボットの初期投資は誰が行ってくれるのでしょう…(補助金とか出るのかしら)。

 

授業風景を動画で撮影し配信してもらい、タブレットで横になりながらそれを見るとか、課題プリントをもらって、わからなかったら先生にLINEで質問していくとか(先生の負担が大きくなる点は課題になるかと思われます)。

もっと安くお手軽にできることはないんかい。

 

ちなみに。

私は高校2年生の時にも長期入院をしました。

最初は休学しましたが、いろいろと考えた末、最終的に中退を選びました。

この時から約10年後に通信制の高校へ編入(高1の取得単位は生きてました)、卒業することができました。

そして通信制の大学へ。

この時私はとても嬉しかったです。

勉強できることがこんなに嬉しいなんて思わなくて笑、驚いたものです。

(この時期のことはまたお話しできればと思います)

 

 

 

学びたい気持ち体の状態の安定をバランスよく保つことは意外に難しい。

 

 

歴代の主治医の一人によりますと

「勉強したら交感神経と副交感神経のスイッチが切り替わるから不整脈は出るよ。勉強に集中できなくても当たり前」

だそうで、学ぶ・学び続けることは案外とハードルが高いのだと思います。

 

それでも、無理してでも勉強したり学校に通い続ける子はいるでしょうし、でもやっぱり苦しくて涙する子もいるでしょう。

  

その昔、子どもの頃。当時の主治医に

「ぱきらちゃん、君には考える頭があるよ。運動はできないけど、勉強はできる。勉強を頑張りなさい」と言われたことがありました。

 

勉強によってその能力が開花できるかどうかは別の問題ではありますが、本来「学ぶ」という行為は、先天性心疾患のような内部障害者にとっては得意な分野であるはずです。

けれど実際は、勉強をしたくても環境が整わないことが多いのです。

 

しんどい中でもしんどいなりになんとか勉強ができれば良いと思いますし、そういう環境が当たり前に提供されたら良いのに…と、自分の経験からも、強く感じています。

 

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国民の三大義務の一つである

「教育の義務」

憲法第26条

 1項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

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教育の義務は、子どもたちに課せられた義務ではありません。

子どもたちに教育を「受けさせる」義務があるのです。

 

30年前は、確かに「生存させる」ことに重きを置いていたでしょうし、勉強なんてぶっちゃけどうでも良かった部分もあるでしょう。
でも、今は長生きできるようになってきたのだから。


いろんな事情でうまく学べていない子どもたちが、「学び」を当たり前のものとして享受できないものかと思います。