あの頃の風景②
前回、入院中に出会った人たちのお話をしました。
今回はこの続きです。
食べたらあかん
私の隣のベッドに入院してきた同世代の男の子。
手術が終わればすぐに退院できる予定の子でしたが、お母さんに付き添ってもらっていました。
男の子自体は静かな印象だったはずだけど、お母さんが挑戦者というか…。
術後、彼はまた同じように私の隣のベッドへ戻ってきました。
付き添い入院していたお母さんは自分の食事確保のために、病院の外でご飯を買ってくることがありました。
そんなある日のこと、お母さんはマクドナルドのバーガーセットを買って来ていました(男の子がそう言ったのでわかりました)。
当時はマクドナルドのお店はそんなに多くなかったし、価格もそこそこ良いお値段でした。ということでお母さん、買ってきたバーガーやポテトの余り?を保管。
とは言え冷蔵庫のレンタルをしていたわけでもないので、常温…というより、院内は常春。大丈夫?
でも私がそんな風に思ったのは一瞬で、人さまのごはんを気にすることもなく翌朝を迎えます。
翌日。男の子がマクドナルドの何かを食べたがっているような声が聞こえてきます。
いや、それはあかんよ。
君、術後やし、退院決まってるし、そんな危ないことしたらあかん。
と、子どもの私にもわかること。
…が、お母さんにはわからなかった!!(驚)
お母さんがバーガーとかが入っている袋を開けて、くんくん匂いを嗅いで様子をみている模様。
そして、男の子に渡す…。
結果。
男の子はしっかりお腹を壊してしまい、エライことに。
ただ、比較的元気な子はすごいなと思ったのですが、それでも落ち着くのが早く予定通り退院して行きました。しゅごい。
☆
この男の子やお母さんを悪く言いたかったのではなく、一つの事例として挙げました。
というのも、こういう風にお母さんが子どもにおやつ等を与えてしまうケースはままあったのです。
ダメだと言われてるのにチョコを与えているのが発覚、普段穏やかな先生が「もうほっとけ!」と怒っていたケースもありました。
ここからは私の私見なので「そりゃ違うよ」と思われる方もおられるとは思うのですが…。
昔は心疾患があると二十歳まで生きられないとか言われることが多くて、だから「好きなことを好きなだけさせてあげる」「求められることはすべて与える」のが良いと考えている保護者もいました。
そしてなぜだか軽症の子の保護者にその考えが強くなるようで(重症な子の保護者は、生きるためになるならと結構厳しい我慢をさせていたように思います。もちろんこれはこれで問題があるとは思っています)、結果、甘やかされ放題のわがままな子もいました。
もちろんそんな子や保護者ばかりではないことはわかっています。
ただ、私が見てきた子たちがほんと、そういう感じが多かった…。
保護者は甘く、祖父母も甘く、王さまのような子もチラホラ。
私には子どもがいないので、子どもに対する親御さんの気持ちというのを理解できているとは言えません。そして今は長生きできる先天性心疾患の人が増えてきているので、親御さんの対応も昔とは違っていると思います。
でも、「好きなことを好きなだけさせる」というのはやめて欲しいなと思うのです。
あの子たちは、きっと生きている。
手術をしたらいずれ不整脈が出るとわかってきたのはそれほど昔のことじゃなくて。
いろいろと体に不具合が出てきているかもしれません。
思い通りにならなくて、深く傷ついていないだろうか。そんな風に考えています。
「好きなことを好きなだけできないこともある」ということをなんとなーく、それとなーく、伝えてあげて欲しいなと思うのです。
…ま、それがわかっていたとしても、できないときはそれ相応に辛いのですが。
あなたから見た私
入院中、何人か心疾患のあるダウン症の子に出会いました。
まだ小さい子が多い中、印象的だったのは私と同世代の子です。
とはいえ、彼女との会話は少し難しくてあまり多くはなく、代わりに彼女のお母さんとお話しすることが多かったです。
彼女のお母さんはなかなかパワフルな人で、言いたいことをズバズバ言う人でした。そうでなければ世間を渡り歩くことができなかった、という側面もあるのかもしれません。
そのお母さんだったと思います。
「この子たちは感受性がとても豊かな。だから自分に良い感情を抱いていない人たちのことがすぐにわかるのよ」とおっしゃいました。
なんでも、彼女は自分に良い感情を抱いていない人が来ると、ものすごく嫌がるんだとか。そうしてそういう相手はたいていお母さんもいけ好かないヤツと思っている人だそう。
私は、ダウン症の人や発達障害の人には特別な能力があるのだとか、秀でた能力があるのだとかいって持ち上げる話があまり好きではありません。
だって、確かにその人はその能力を開花させたかもしれないし素晴らしいことではあるけれど、たいていは特別な能力なんてなくて。
ダウン症や発達障害に何を求めてるの?という感じの妙な期待値が上がることが嫌なのです。
病気だからその能力が注目されるわけじゃなくて、「その能力が抜きんでた人が偶然病気(障害)であった」というのが本来だと思うのです。
だから感受性が豊かというのが特別な能力だというつもりはありません。
ただ、人を見る「見方」のようなものが少し違うのかもしれないと思っています。
その目で見たとき、自分に対して良い感情を持たない人が近づくと、少し違って見えるのかな、なんて。
こちらから見た彼らではなく、彼らから見た私はどういう感じなのかな?
あの時はそんなこと思いもよらなかったけど、今はそういう風に考えることがあります。
たぶん、心疾患だから
彼女が果たしていくつだったのか、当時の私にはわかりません。
もう覚えていないというのが本当のところですが、高校生か大学生だったかなとうっすら記憶しています。直接顔を合わせることもありませんでした。
周りのお母さんたちの話が漏れ聞こえてきただけでしたが、覚えています。
心疾患の女の子。
元気そうな女の子だったらしいけど、予期せぬ妊娠だったんだと思います。
中絶のための入院でした。
若かったからなのか、心疾患だったからなのか、望まぬ妊娠だったのか…わからないけど、そういうことでした。
漏れ聞こえる情報によれば、「心疾患だったから」が有力でした。
いえ、仮に若かったからだとしても…心疾患だからこそ、循環器や外科のフォローなくして中絶はできなかったんだと思います。
この当時、私はまだ自分が妊娠・出産できないとは理解していませんでした。
でもこの時なんとなく「赤ちゃんを産むのはしんどいのかな」という刷り込みができました。
私は二十歳前後で「自分は妊娠できないだろう」と認識しましたが、その時もあの中絶しに来た子を思い出してなんとなくすんなり納得したのでした。
当時はわからなかったけど、彼女はきっと傷ついただろうな。
体の負担も大きかったはず。
完璧な避妊なんてない。
それでも避妊の方法や大事さ、仮に妊娠した時の体(心臓)への負担を知っていればあの中絶は避けられたではないだろうか。いらぬお世話に他なりませんが、そんな気持ちになるのです。
出産が可能か否かはまた別の問題です。
それはおそらくその時の当人の体調や医療技術で違うでしょう。
でも、それ以前に避妊について学ぶ機会は必要だと思います。
二十歳以降も生きられるようになったからこそ、だからこそ。
そんなこんなの、あの頃のことでした。