今日もしおれ気味。

前向きも良いけど、私は今日も大体しおれ気味。

解き放たれる〜小学校から中学校へ

入退院を繰り返しつつも小学6年生になった私は、すんなり女の子グループの一つに入ることができました。

その子たちと喋って笑って、そこでようやく学校が楽しいと思えるようになっていました。

 

よくわからないけど、この頃の私は少し自分のことを肯定的に見られるようになっていたんだと思います。

ああ、こういう自分でも良いのだと思えたのはおそらく入院がきっかけです。

この話はまたそのうちにして…。

 

中学校へ

さて、私は地元の公立中学校に進学しました。

 

小学校からは「中学校では教科別の先生になるなど、とにかく小学校の比でない大変さがある」と言われていたそうです。

私自身も不安いっぱいでした。

 

そして戦々恐々、入学にあたって事前に中学校の先生方と面会しました。

 

車いすに乗っていることなどは小学校から連絡を受けていましたが…予想以上に(見た目は)元気そうなので驚いています」

と素直に感想を述べ

「学校側としましても、教科ごとに教員も変わりますし、教員全員もう少し共通認識として徹底します」

と言われました。

 

あれ…?学校の必殺技「前例がない」は?

 

そして一年の担任となる先生が母にこう言いました。

「お母さん、いろいろとご心配もあるでしょうが大丈夫。それでなくても中学生は思春期真っ只中で、いろいろと抱えた子どもたちがいます。ぱきらさんだけではありません

 

母にとっても私にとっても、他の子たちと同列で扱って貰えた初めての経験でした。

 

ということで、中学校での生活は想像以上にスムーズに始まりました。

先生方は良い意味で私のことを放置してくれていました。

もちろんイベント(体育祭や修学旅行などなど)ごとにどのように私が参加するのかという調整や打ち合わせは必要でしたが、先生方にとってはヤンチャしてる子たちをどうするかの方が頭が痛かったようです。


…なんだこの解放感!!

みんな車いすに乗ってようとお構いなし。
なんならクラスメイトが車いすを押してくれるようになりました(小さい子に車いす介助は無理ですから、これは私を含めてみんな成長したからできる技でもありますね)

 

さすがにおんぶは先生方がしてくださって、少なからず恥ずかしい気持ちはあったものの…それでも当たり前のこととして日常になっていきました。

(ただ、当時の先生方の腰が悪くなっていないか、それは今でもちょっと心配です)

友だちもできました。
中学時代の友だち数人は、今でも時々会っています。

なんでも話せる存在であり、なにも話さなくても良い存在です。

 

体育のときは体調が悪いとき以外はみんなと一緒に授業に出ました。

私の役目は記録係でした。

成績に関わる最終テストでは離れますが、それまでの練習のタイムなどを記録するのは私でした。

体育は2クラス合同で行われていましたが、みんな私が「記録する人」という認識で当たり前のように自分のタイムだのを私に知らせに来てくれていました。

 

私は自分に役割があって嬉しかった。

 

冬場の体育館では、私のそばに電気ストーブを置いてもらいます。

それをずるいという子はおらず、むしろ「ぱきらがいると暖かくて良い」と重宝されました。

 

顔面でバレーボールを受け取ったのは良い思いでの一つです笑

(試合の応援中に飛んできたバレーボールを避けることができなかった私)

 

学校生活がキラキラしてました。 

解き放たれた〜!って感じでしょうか。

 

そして私は中学生活を満喫し、成績が微妙な時があったりなかったり…。

きゃあきゃあ言い合っていた気がします。

 

中学校の先生からは「ぱきらさんは心疾患でなかったら、かなりおてんばだったと思います」と言われる始末。おほほほ…。

 

体調も、少しずつしんどさは蓄積されてはいたようですが、3年間何事もなく終わりました。

 

指導方針で変わる

小学校時代が全て闇かといえば、きっと違うと思うのです。

楽しいこともそれなりにあったはず。

それでも、私の中での小学校時代の印象はやはり悪いです。

悪いというか、6年生までの学校での記憶がとても曖昧です。

母曰くは「あまりにも学校で嫌なことがあり続けたから記憶を封印したんちゃう?」とのこと。

その真偽はともかくとして、楽しいか楽しくなかったかと聞かれれば、楽しくなかったです。

 

中学になって…というか、今になってしみじみ感じるのは、

学校の指導方針ひとつで子どもの生活は全く違うものになる、ということでした。

 

現在の先生方が忙しすぎるのだということは報道を通じて知っています。

先生の心身も悲鳴を上げている状態なのに、生徒一人ずつきめ細やかな対応なんて、正直難しいでしょう。

 

加えて、私は誰かのサポートなしではほかの子たちと同じようには動けない。

ほかの子たちに比べて手がかかるに決まってます。

 

そもそもそういう子を普通学級に通わすのはいかがなものか、という根本的な指摘をしてくる方もおられるでしょう。

そこは親御さんの考え方によってそれぞれ変わるでしょうし、私も誰もが普通学級に行くのがベストだとは思いません。

 

とはいえ、中学校では私はさほど問題なく通うことができていました。

この差は何なのか。

どこに違いがあったのか。

今でもわからないものの、先生たちの意識の違いなのかなと思ったりもします。

小学校の先生方は、前例のない私に身構えてしまった。

中学校の先生方は、違いのある私を、心疾患であることを、事実としてそのまま受け止めてくれた。

 

それは言葉にすると簡単だけれど、実際は難しいことなのかもしれません。

それでも…そういう学校が増えれば良いなと思わずにはおれません。

 

長々と引っ張りましたが、私の小学校にまつわる話はここまでです。

全般的に暗いテイストになってしまい、申し訳ありません。

そして、読んでくださってありがとうございます。