今日もしおれ気味。

前向きも良いけど、私は今日も大体しおれ気味。

望みのようなもの

きょうだいってなんなのか。

 病児や障害児が成長するために抱える多くの課題や支援が必要なことは、(問題解決には至っていなくとも)それなりに注目されているし、世間的にも浸透しているのではないかと思います。

 

では、病児・障害児のきょうだいの課題や支援が必要なことは?

…おそらく一般的には知られておらず、「きょうだいの支援?なにそれ」という反応が多いことでしょう。

 実際、私がきょうだいについての課題を知ったのもすっかり大人になってからでした。

 

 

ここからは病児のきょうだいさんについて述べます。

 

病児のきょうだいは、

親御さんの目が病児に注がれて(それもまた仕方のないことです)、甘えたいのに甘えられない。

「あなたは元気なんだから、一人でなんでもできるでしょ?」「我慢できるでしょ?」等の周囲からのプレッシャーを感じる。

風邪をひいて自分自身が辛いのに「きょうだい(病児)に感染したらどうするの!」と怒られたり、ピリピリされたり。

その他にもいろいろとその小さな心を痛めて、孤独な気持ちになってしまう…ようです。

 

✳︎ 詳しくはNPO法人 しぶたね」さんのサイトの中にある『きょうだいさんがもちやすいきもち』というイラスト付き解説をご覧ください。

http://sibtane.com 

sibtane.com

 

言われてみればその通り。

私には兄がいますが、私の状態からしても、いろいろと我慢を強いられていたはずです。

 

兄も辛かったのだろうか。

孤独だったのだろうか。

子どもの頃の兄の心境を想像するにつけ、涙が出そうになります。

 

でもそれはあくまでも私の想像に過ぎない。

私が泣くことは当時の兄の頑張りに対して失礼な気がするので、いつも変顔になりながら堪えています。

だけどやっぱり、きょうだいが辛い思いをしていたのだとすれば辛い。原因は明らかに私なんだもの。

 

きょうだいってなんなのか。

ただ生まれていた家庭に、新しくきょうだいが増えた。でもその子は病児だった。

あるいは、ただ生まれてきたら、病児のきょうだいがいた。その子は病児だった。

それだけのこと。

それだけのことのはずなのに、他でもないそのことが、きょうだいが生きにくくなる理由の一つになるのかと思うと、歯痒いです。

 

かと言って、きょうだいの問題の責任が全て親にあるわけではありません

親だって必死。必死に子育てしてるだけのはずです。きょうだいへも温かい眼差しで…とか、理想はそうかもしれないけれど、現実的ではないでしょう。

それに、生きている限り病児ときょうだいは、当たり前だけどきょうだい関係が継続するのです。彼らが大人になって以降のことまでをも考えて親が行動するというのは無理があると思うのです。

きょうだい支援というのは、もっと社会全体で行うべきものではないかと個人的には感じています。

 

兄への気持ち・きょうだいさんへの気持ち

私には兄がいると書きましたが、私は11歳の入院中(母の付添いあり)に兄に対してどうすれば良いのかわからない時がありました。

 

それは、とあるおばあちゃんに言われた言葉。

「お母さんにずっと付き添ってもらってんの?甘えたさんやなぁ。お兄ちゃん寂しいやろうなぁ。かわいそうに」

実は漠然と兄が寂しいのではないかと考えていた私。やはり私の考えは間違いではなかった。他の人から見てもお兄ちゃんは寂しいんだ!

…猛烈に申し訳なくなりました。

で、そこは子ども。

母に「私はもう大丈夫だから、家に帰って」とお願いしました。

母は急にそんなことを言い出す私を訝しみました。理由がわかったとき、母は「こちらの事情もわからない人がそんなこと言うなんて!」と怒っていました。

 

結局母が家に帰ることはなかったけれど、今でも私はあのときのことを考えると、なんとも言えない気持ちになります。

入退院を繰り返し、状態も落ち着かず付き添ってもらっていたけれど…私だって兄に寂しい思いをさせたくなかった。

でも、病児本人にはどうすることもできないことでした。

 

ところで、結婚式のときに「ご両親への感謝の手紙」ってコーナー(?)がありますよね。

私は結婚式のとき、両親へはもう充分に感謝していたつもりなので 笑 両親への手紙というよりも、兄への感謝の手紙になっていました。

 

私は兄が、どうせいつものように口の端を上げる程度に笑って聞くんだろうと思っていました。

 

ところが、兄、まさかの号泣。

 

自分への言葉があるとは思わなかったからなのか、お酒の力か。

私は兄があんなに泣くところを見たことがありませんでした。びっくりしました。

びっくりし過ぎてこっちも号泣。たぶんサチュレーション爆下がりだったと思います 笑

 

夫と並んで列席者とご挨拶というときには、兄は夫の手をガッチリ掴んで「ぱきらのこと、よろしく頼むよ」と言っていました。

父より父っぽい…。

でもとても嬉しかった。きちんと兄にも感謝が伝えられて良かったなと今でも思います。

 

兄が今、幸せを感じているかどうかは兄ではないのでわかりません。

けれど自分の好きな人と一緒になり、子どもができて、自分の家族があって。その子たちも大きくなりつつあり、確固たる「自分の居場所」がある。そのことになんというか…とてもホッとしています。

兄は兄の人生を歩めたら良い。

その人生が笑顔の多いものであればなお嬉しい。そう思っています。

 

 

病児のきょうだいであるのか、障害児のきょうだいであるのか、大人になってからもフォローが必要な子のきょうだいなのか。

一口にきょうだいと言えども、それぞれで抱える課題は微妙に変わってきます。

…とか偉そうに言っていますが、その本質は私にも掴めていない気がします。

きょうだいさんたちからすれば、「ピント外れなこと言ってるな〜」ってところかもしれません。

 

結局のところ、病児の立場であった私にはきっと何もできなくて。

今もどこかで辛いな、しんどいな、と思っている小さなきょうだいさんたちがいるのかもと考えると、もどかしさでいっぱいです。

 

どうか、きょうだい支援というものに、もっと注目が集まりますように。

どうか、きょうだいさんたちが抱えている辛さやしんどさが少しでも軽くなりますように。

あと…できれば病児のきょうだいとの関係に悩むことなく、ニコニコ仲良くできますように。

いっぱいいっぱい、望んでます。

 

 ★

病児のお母さんたちへの想いはこちらです。

siosio-pakira.hatenablog.com

 

また、病者としての私自身の想いはこちらとなります。

siosio-pakira.hatenablog.com